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2013年7月 8日 (月)

ハリソン

そんなに気合を入れることもなく、なんとなくブログ再開。長いこと放ったらかしている間に、いつの間にか私も経験10年選手になっており、後輩から「勉強方法を教えてください」などと言われるようになった。こんなグータラな私にそんなこと訊いてどうするの?というのが正直なところ。あなたのほうがよっぽどちゃんと勉強してるじゃない、と心の中で思うのだけれど、グータラでも経験年数はモノを言うのか、経験の浅い人から見ればそれなりに映っているらしい。そんなふうにエージェントさんのこともごまかせればいいんだけどね、と自分でツッコミ入れてしまいますが。不勤勉さと実力は比例するので、つまり私の実力もその程度。

そんな私が最近ちょっと楽しんでいるのが王道ハリソン。原書と和訳版を対比しながら読んでいる。とにかく読んで楽しい! こんな楽しいんだったらもっと早く読んでおけばよかったなぁと思いつつ、今だから楽しめるようになったのかもしれないとも思う。もちろん、ちゃんと読もうと思えば時間は掛かる。実際、楽しいとは言ってもスピードは遅々として進まないので完読するまでに200年くらい掛かりそうなんですが(爆)、まぁ200年楽しめると思えば悪くない(?)。毎回発見の連続、毎回知らない表現の連続、毎回初めて見る読めない漢字の連続で(!)、英語の辞書も日本語の辞書も必須状態ではあるが、読んだ分だけすぐに仕事に役立つ。逆に言えば、今までそういう知識もなく仕事やってて平気だったのかと思うと少々恐ろしくもありますが。

私が初めて医学翻訳の学校に通ったとき、講師が現役医師だったこともあって、「無理に医学的表現にこだわらなくていい。素人目線の自分の感覚を信じるように。あなたが疑問に思うことは、他の読者(特に患者)も疑問に思うのだから。あなたが理解できる文章を書けばいい」と言われたっけ。そのときに、「医者になるわけではないのだから、実際に診察ができたり、手術ができるようになる必要はまったくない(=つまり医学翻訳をするために医学部に行く必要はない)。ただ、そこで何が行われているか、そこで何を扱っているのかを知っているかどうかで大きな差が出てくる」とも言われた。そんなこと言ったって、「そこで何が行われているのか」は医学部に行かなきゃ判らないじゃん、と思っていたけれど、医学部に行かなくても教科書だけなら誰でも手に入れることができる。その翻訳学校の授業のテキストはいきなりCMDTの原書だった。初めて見るホンモノの医学の教科書。ずっしり重くて(電話帳の1.5倍くらいあった)、こんなブ厚いテキストをこれから訳すのか…とちょっとドキドキしたものだった。その当時はCMDTの対訳日本語版が出ていたので、張り切って大きな本屋さんでCMDTの日本語版を購入し、両方並べて悦に入って、仕事の調べ物も、両方を逆引き辞書のように行ったり来たりしながら参照したものだった。

残念ながら今はCMDTの和訳版はなくなってしまったようだ。CMDTは毎年改訂されているので(だからこそ、Current Meidcal Diagnosis and Treatmentという名前なわけだし。毎年出さなかったらCurrentではなくなってしまう)、それを追いかけて毎年和訳版を出すのはおそらく採算が取れなかったのかもしれない。日本ではそんなにCMDTが売れているワケではないでしょうし。その点、ハリソンは、CMDTのように毎年出ているわけではないけれど随時改訂版が出ているし、それを追いかけて必ず和訳版が出る。もちろんCMDTやハリソン(セシルでも良い)は内科テキストの一例で、日本のメジャーな医学テキスト(朝倉や中山書店)で勉強したってもちろん良い。でもせっかく原書と和訳がペアで存在しているものがあるなら、コレを有効活用しないテはない。どうせやるなら日本語だけの教科書では少しもったいない気がする。原書と和訳を対比することで初めて気が付くこともある。端的に言うと、実は結構、原書と和訳版で間違っているところがあるんですよ!(笑) これを探すのが、も~楽しくて(爆)。英語が間違っていることもあれば(つまり和訳版を出すときに和訳のほうで修正されている)、逆に英語は正しいのに和訳版でヘンテコ訳になっていたり。こういうのって、実際に大学の授業では教授が適宜修正したり説明を加えて正しく教えるのだろうと思うけれど、私みたいな素人は、どちらかだけしか読んでいなかったら、自分では(知識がないために)その間違いに気が付くこともできず、そのまま鵜呑みしてしまうだろうと思う。両方対比して、あれっ?書いてあることが違うぞ?と思うから初めて、調べてみたり、勉強会で質問させてもらって、どちらが正しくどちらが間違っているのか気が付くことができる。その意味でも、両方を見比べながら読むというのは私にとって、とても面白い教材になっている。

ハリソンが終わったらサビストンやりたいなー、いや、リッピンコットが先かなー、などと読みたいものがどんどん膨らみ、向こう500年くらいの読書予定が詰まっております…(^^;; 多分こんなことは、翻訳学校に通っていたころには考えなかったと思う。当時はプロトコールやIB、添付文書をそれっぽく訳すことで手一杯だった。でも、当時教えてもらったスタンダードテキストの名前だけはずっと頭に残っていて、内科ならハリソン、外科はサビストン、薬理はグッドマンギルマン(リッピンコット)、解剖学はネッター、、、といった具合に、「いつか読みたい本リスト」をずっと温め続けてきた。同業の友人たち(ほかの翻訳学校に通っていた人たち)の話を聞いても、こういったテキストの名前を知っている人はほとんど居ない。確かに、ヒヨコ(というかタマゴ)のときにいきなり王道のブ厚いテキストをこれでもかと紹介されたのは結構スゴかったよなぁ、と思う。でも私には未知の世界のテキストがとても楽しそうに見えた(で、実際に読んで楽しいですっ!)。

治験系の翻訳を10年やっていると、どうしても一言一句、用語集を調べたりMedDRAの表記に振り回されたり、改訂版前のプロトコールはこうなっているから改訂後もそれに合わせて、、、と余計なことに神経を使う。でもハリソンを読んでいると、MedDRAなんてクソ喰らえ状態(?)で、まぁ表記の自由奔放なこと。教科書だもんね、判りやすいことが第一。MedDRAなんて関係ないんだもんなぁ。ああ、当時先生に言われたとおり、「素人目線の感覚を大事にしなさい」ってこういうことだ、私もなんだかんだで10年やってて、すっかり業界感覚が染み付いてしまっている。ヘンなクセのある業界用語や中途半端な専門知識が当たり前になって、「普通の日本語」のセンスを見失いつつある。ハリソンを読んでいると、そういうことにも気づかされて、それがまた自分の再発見になって楽しいのです。

Harison_2

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