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2007年9月 3日 (月)

好きな事

ずっと何年もお世話になってきた英語コミュニティサイトが終了した。私が通っていた英語学校の同窓生のサイトである。学校自体が閉鎖になってから発足した同窓生用のサイトだが、もう本家の学校も無いのに、いつまでもサイトが残っているハズもなく、ここ最近は書き込み自体も稀になっていたので、なくなってしまうのも時間の問題かなぁとも思っていた。潮時だったんだろう。

サイトがなくなっても、私自身は仕事のこともあって英語や英語の資格試験とは縁を切れないだろうし、切らないつもりだ。ただ、アレコレ私が見た中で一番レベルも高く内容も充実していたサイトがなくなってしまったわけで、これからは良質の情報を集めるためにはよそのサイトを放浪しなければならない。フと思いついて、数年ぶりに、以前はちょくちょく見ていた英語関係のサイトにいくつか立ち寄ってみた。そのサイトの1つで、比較的最近の過去ログをザっと読んでみたら、某1級取得者さんが、準1級取得から1級(1次のことと思われる)までに9年、さらに2次合格までに14年掛かった、ということを書いていらっしゃって度肝を抜かれた。私自身も、そして私の周囲にも、それなりに時間をかけて挑戦している方も多いが、それにしても14年…。まぁ、毎回しゃかりきになって受験していた感じではなく、試験勉強から離れて自分の中で機が熟すのを待っていたのでそれだけの時間が掛かった、と書いていらっしゃったので、なるほどと納得したけれど。私も、そういう意味で言えば、初めて1級を受験したのは21歳のときだから、合格までに余裕で10年以上掛かっていることになる。21歳のときに何の準備もせずにポンと1級を受けて、3回連続で不合格C。何よこの試験、フン、とフテ腐れて(笑)放ったらかしにしていた。それでも仕事では社内で文書の翻訳をしたりアテンド通訳をしたり。そうしてやっぱりちゃんと勉強したい、ちゃんと試験に受かりたい、と思うようになって英語学校の門を叩いたのが20代後半。自分の中で機が熟すまでにそれだけの時間が掛かった。

結局、好きな事というのは、何度失敗しても、誰に止められても、自然に気持ちが向いていくのだと思う。諦めるというのとは本質的に違う。続けていて楽しいしイヤにならないのだから諦める必要なんかどこにもない。どこで読んだ話なのか忘れたけれど、有名な音楽家(ピアニストだったか指揮者だったか)の話で、「どうやったらピアニスト(指揮者)になれますか?」と音楽家を目指す人に質問されると、いつも、「あなたは音楽家になれないから諦めなさい」と答えるのだそうだ。どうしてですか!?と悲痛そうに切り替えされると、「その理由は、あなたが私にその質問をしたからだ。本当になりたいなら、誰に何を言われても、たとえ、お前には絶対にムリだ、諦めろと言われても、そんなことは関係ない。自分の内から、どうしても音楽家になりたい、音楽家にならなければ生きている意味がないと思えるなら、誰になんと言われようとその道を目指せば良いのだし、すでにあなたは音楽家なのだ」と言うそうだ。

当然だよなぁ。好きなことは誰に止められても、諦めることも捨てることも出来ない(というか、捨てろと言われたって捨てる気なんかサラサラ無い)。5年経とうと10年経とうと、忘れ去っていたと思っていても、「ああ、無性に取り組みたい!」という気持ちになるのが本当の「好き」なんだと思う(=これを恋愛に置き換えると、私ってストーカー要素満載なんだよなぁ…うーむ、いや、まぁ、その話は置いといて)。別に表彰式に立ちたいわけではないのだから、自分のペースで好きなときに英語を読み、英語を聴き、マイペースで勉強を続けていれば一定のレベルに達して、どんな試験だって突破できると思う。他人と比べる必要もなく、ムリだと言われても好きならやめずに続けていれば良いだけだ。例え環境が許さなくても、好きで続けていれば道は開けてくると思う。楽器も持っていないのに無性に弾きたくて仕方ないと思う私が良い例だ(笑)。好きな事を続けるというのはそういうことだ。そして、そういう好きな事を何か持っているというのは、なんて幸せなことだろうと思う。

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コメント

> 好きなことは誰に止められても、諦めることも捨てることも出来ない

たしかにねぇ。

ヒトに認められたいとか、社会的な評価を受けたいとか、
そういう欲のレベルにとどまっているものは、本当に
好きかどうか疑わしいです。好きなことに理由なんかない。

一方、好きなことをもっている人は、好きなことの
呪縛にとらわれていて、自分自身で行動をコントロール
できない不自由さはある。好きなことに対して衝動的に
アクションを起こすから、周りの人間は引いてしまうし、
社会的に見れば損をすることも多いのでは。

だけど

> そういう好きな事を何か持っているというのは、
> なんて幸せなことだろうと思う

やっぱりそうなんだろうね。
周りがどう言おうが、知ったことではない。
好きになったが勝ち、楽しんだが勝ち。

ついでに「好きな事」を分かち合える仲間がいれば、最高ですね。

投稿: あるふぁ | 2007年9月 6日 (木) 01:24

あるふぁ氏、興味深いコメントをありがとう。

>そういう欲のレベルにとどまっているものは、本当に
>好きかどうか疑わしいです。

「欲のレベル」か、上手いこと言いますね。私に言わせりゃ、「欲のレベル」程度のものを「好きな事」だと誤解してる人って自分を知らないんだろうと思います。誤解の権化。自分が何を好きかくらい、自分でちゃんと判ってあげなきゃ。

>自分自身で行動をコントロール
>できない不自由さはある。好きなことに対して衝動的に
>アクションを起こすから、周りの人間は引いてしまうし、
>社会的に見れば損をすることも多いのでは。

あははは、あんこんとろーらぶる。まさに私。

>ついでに「好きな事」を分かち合える仲間がいれば、最高ですね。

以前はそんなこと少しも思わなかったんですが。最近しみじみそう思います。「好きな事」がある幸せと、仲間がいる幸せ。最強です。

投稿: snowberry | 2007年9月 7日 (金) 23:09

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