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2006年9月 4日 (月)

訳文配布

活字離れとか読書離れとかいろいろ言われる昨今だが、読む人は今も昔も一定量を読み、読まない人は徹底的に読まない二極分化なのだろうと思う。だから読書量のアンケート調査なんかやったって、きっとほとんど意味は無い。日本人の平均読書量なんて言ったって、大量に読んでいる人が平均値を上げているだけの話で、実態を反映している数値にはなっていない気がする。要するに一部にまったく読まない人がいるということだ(白状すると、私も含めて、ということになるだろう・・・)。

読書をしなければ当然のことながら文章の読解力を育むことができないし、読解力がなければある程度の長さの文章を読むことは苦痛でしかなくなる。・・・という構図があるということで、イマドキの中学・高校の英語の授業では、和訳したものを事前に配布しているのだとか。内容が判っていれば、それなりの長さの英文でも苦痛を覚えずに読むことができるから・・・ということらしいのだけれど。えええええ???という感じである。自分でアレコレ頭をひねって文章の意味をつかむ楽しさがなくなるではないか。私は日本語と英語以外の言語はほとんど判らないけれど、外国語によるコミュニケーションの楽しみというのは、ボンジュールとかニーハオとかグラッチェとか、片手程度でもいいから、自分の知っている単語が聞き取れたり、使ってみて相手に通じたり、様々なシーンで自分の知っている単語がどんなふうに使われているかによって微妙に意味が違うことを感じ取ったりするのが楽しいのだと思う。今の単語の意味はコレかな?とか、自分の覚えている単語の意味とシチュエーションが噛みあわないけど違う意味があるのかな?とか、そうやって少しずつ語彙を増やして行くのが楽しいのだ。そりゃまぁ、資格試験レベルで語彙数1万語とかになると話は別だけれど(これはこれで、苦痛になるわけだが・・・)。

それもこれも、やっぱりゆとり教育の弊害なんだろうか? 少ない時間数の中でとにかくある程度の長文を読ませなければならない、でも読書離れで文章アレルギーの子供たちは、長文+英語というだけで拒否反応を示すから、先に訳文を配布してしまえば、とりあえず英文を最後まで読んでくれるだろう、とでも期待しているんだろうか。まるっきり逆だと思うけどなぁ。読めなければ、読めるレベルまで難易度を落とすべきなのだ。算数ができない私が、どんなに丁寧なアンチョコをもらったとしたって大学の研究室レベルの解析問題が解けるハズはないのだ。算数の基礎力をつけたいのであれば、中学の教科書に戻って、一次関数とか二次関数とか、Xやらπやらθやらに取り組むべきなのだ(いや、やりたくないですけどね)。

徐々に難易度を上げていくという点で、算数と英語は同じだと思う。長い英文が読めないなら、全体量も短く内容的にも読めるレベルに戻すべきだ。そして自力で読める感動を味わうべきなのだ。あらかじめ訳文を渡されてしまっていたら、自分の力で読む喜びがなくなってしまう。当然、行間を読む楽しみや、直接は書かれていないけれど著書が一番訴えたかったことは何かなどを思い巡らす力さえ身につかなくなる。それに、訳文を先にもらうことに慣れてしまったら、自分はある程度の長さの英文が読めるのだと勘違いしはしないだろうか。そして、実生活で訳文なしのナマの英語に接したときに、まったく判らないことにショックを受けたりしないだろうか。教える側の都合(そのほうがラクだからという理由)で、とんでもないことをしているんじゃないかという気がする。

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コメント

「なんだっけぇ~、なんだっけぇ~」と思って
それが解決されて「へ~~~」と思うと脳は活性化される
って噂を美容院のお兄ちゃんが言ってました。
あんちょこを渡されて英文読解なんてちょっといかんと私も思います。
「自分がわからない」ということに気づきにくいし、
わからない箇所もわからないと思うのです。
人間少し努力とか苦労とかしないと、楽して何でもやろうと
したって無理だと私は思います。
できる人は努力してるんだと思う。うんうん。

投稿: 胡椒 | 2006年9月 4日 (月) 21:38

それは恐らく普通の中学・高校で行われていることであって、進学校ではそんなことはまずありえないと思います。英語の授業で予め訳文を配布するというのは柔らかい食べ物をスプーンで口先まで持っていって食べさせるようなものです。このようなことをするから学力も二極化が進むのでしょう。

わからなければ自分から先生に尋ねに行けば得るものは大きいはずですし、それが嫌ならば出来る生徒に訊いたり何人かの意見を聞いて比べてみるのも方法の一つと思います。先生も生徒もやる気がなかったり、ほかの仕事や遊びに忙しいのかもしれませんね。

投稿: SRI | 2006年9月 4日 (月) 22:09

>わからない箇所もわからないと思うのです。

そうですよねっ! 学校(特に中学とか高校)は、まさに判らないことを堂々と判らないと言える場所なのに、それを誤魔化しちゃうなんて勿体無さすぎ。もちろん大人になってからでも、判らないときには判らないと言えば良いんだけど、だんだん本人も周囲もそう言えない雰囲気を作っちゃったりするじゃないですか。勉強って間違えて躓いて恥をかいて、体で覚えていくものだと思うのに、最初からラクしちゃダメですよねぇ。

>できる人は努力してるんだと思う。うんうん。

あ、それ、耳が痛い・・・かも。最近は敵前逃亡状態の私、え~と反省の日々です。。。

投稿: snowberry | 2006年9月 5日 (火) 00:52

>それは恐らく普通の中学・高校で行われていることであって、進学校ではそんなことはまずありえないと思います。

でも「普通の中学・高校」で行われていたら、それだけでかなりコワイ状況だと思いません? 比率から言って、進学校より「普通の」学校のほうが生徒数は多いだろうし、日本中の「普通の」学校でこれをやってたら、、、かなり憂うべき事態だと思う。

>英語の授業で予め訳文を配布するというのは柔らかい食べ物をスプーンで口先まで持っていって食べさせるようなものです。

おー、なんか医学的事例っぽい(笑)。そうそう、今回の話は英語教育に関する問題として日本医学英語教育学会関係で挙げられたものなんですよ、SRIさんもご覧になりました?

投稿: snowberry | 2006年9月 5日 (火) 00:58

むむう。
英語って、できる子とできない子の格差がものすごーい科目ですよね。あと数学。
ムリヤリ進度を合わせようとしてるんでしょうね。どこにあわせてるのか、真ん中なのか1番上なのか知らないけど。

1年半英会話スクールにいて、塾もちょこっといて、いろんなコドモたち見てきましたけど、
がんばってるのにできない子ってのが、意外に多い…。
そして、何もしなくてもできる子も多い…。

こんなこと言ったら元も子もないのは百も千も承知なんですけど、
英語(とかたぶん数学も)って、努力だけじゃダメなのかなあって…。
英語向きのアタマを持って生まれてきた子と、
完全に受け付けないアタマを持って生まれてきた子がいるような気がしてなりませぬ。

先生時代は本当に本当にアタマが痛かったですわ…。

投稿: とりじろう(♀) | 2006年9月 5日 (火) 01:48

>英語(とかたぶん数学も)って、努力だけじゃダメなのかなあって…。

英検1級指導経験者でもあるとりじろう先生はそのように思われますか、うーーーむむむ。まぁ私は算数オンチ頭の持ち主で、何をやっても「さんすー」を好きになることは到底できないと思うし、今となっては努力する気もないんですけど、でも、例えばの話ですけど、掛け算の九九まで戻って、徹底的に九九と四則暗算の特訓をすれば、私でももう少し算数的な頭になるんじゃないかと思ったり(あの、いえ、別に私は九九ができないわけじゃないですが)。

英語もそれと同じで、伸び具合に差異はあっても、個々の生徒の躓いている部分まで戻って、徹底的にそれをクリアすれば、必ず出来るようになると思うんです。だから、例えば英検1級レベルくらいだったら、早い遅いは有っても、「絶対に」誰でも合格すると思うんです。誰でも国際会議でバリバリ活躍する同時通訳になれるか、と言われると、そのへんは、さすがに努力だけじゃ難しいかとも思うけど、英検レベルなら「正しい方法で勉強すれば」誰でも受かると思うんです。だから「完全に受け付けない」とは思いたくないなぁ。完全に算数を受け付けない私が何を言うか、とも思うけど(笑)。

中学の英語の授業ってすっごく大事だと思うんですよー。そこで出会う英語教師や英語の授業って、その生徒の英語に対する認識を決定付けるものだと思うから、アンチョコ方式の授業なんてやって欲しくないですよね。

投稿: snowberry | 2006年9月 5日 (火) 02:11

こんにちわ。
う~ん。耳と頭両方痛い話題ですね。私はレッスンの最後に訳文渡します。そうしないと内容・文法説明やそれらに付随した
「ちょっと面白い話」(教えるほうが思ってるだけかも・・・)
とにかく一切聞かないで、「訳文」を必死に書き取る生徒が多いので。「先生!もう一回そこゆっくり言って~」とか。
これってテストの出題方法に問題のあるケースが多いんです。英問英答にするといいんですが。レベル揃えるのがね。ただし、中高生の場合(留学などの特別なケースを除いて)語学学習に母語の助けを借りるのは必須だと思います。
「わかる授業・知的好奇心のくすぐられる授業」目指しているのですが、なかなか難しいです。

投稿: kyoto | 2006年9月 5日 (火) 08:57

>私はレッスンの最後に訳文渡します。

ナルホドなるほど、現場のナマの声ですね! ところでkyoto先生が教えていらっしゃるのは(SRIさんが言うところの)進学校になるの?(そういえば、どこの何て学校で教えていらっしゃるのかも知らないのだったわ、あはは。いや別に知る必要も無いんだけどさ)。訳文を書き取るのかぁ。。。私たちのときには、授業の全訳なんて無かった気がする。

>語学学習に母語の助けを借りるのは必須だと思います。

あ、そりゃもちろん私もそう思います。中高生の場合、ね、中高生の。広い意味での語学学習は、洗面器いっぱいの外国語でパシャパシャ水遊びするよりも、風呂桶いっぱいの外国語、いやいや、プールいっぱいの外国語の中に放り投げて溺れさせて覚えさせるのが良いんでしょうけど、語学だけにどっぷり浸かっていられない中高生の場合は、適宜母語を使いながら学習するのが一番効率が良いんだと思います。朝から晩まで英語漬けなんて理想論に過ぎないし、実生活では不可能だもの。でも訳文を先に渡すってのは別問題だよね。これじゃ洗面器での水遊びにすらならないと思う。その洗面器に穴が空いててザル状態になってるようなものだと思いません?

子供相手の教育って、やり直しが利かないから試行錯誤ってワケにも行かなくて本当に大変だと思う。kyoto先生、無理せずに頑張ってね!

投稿: snowberry | 2006年9月 5日 (火) 16:20

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