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2006年9月30日 (土)

K・I・S・S

メディカルライティング講座の最終授業で先生が連呼していた言葉。「KISS」だそうである。「Keep it short, stupid!」の略だそうで。最初は「Keep it short and simple」のことかと思ったので、なぜここで「stupid?」と思ったのだけれど、「and」じゃなくてカンマだったので納得。

講座の最終日は英語論文と英語による講義ということかなり気合を入れて臨んだ私。壇上には欧米人と思わしき(紹介を聞いたところ、イギリス人の講師だった)男性が居て、スタッフの女性が先生のご紹介を日本語でしたあとに、さていよいよ授業。…と思いきや、聞こえてきたのは流暢な日本語。「今日ハ私ノ下手ナ日本語デスミマセン」と言いつつ、いえいえどうして、私の英語より遥かに上手デス…。考えてみたらメディカルライティングのベテランの先生である、日本語論文を英語に翻訳し、英文ジャーナルの投稿規程に合わせてリライトし、何本もの論文をアクセプトさせているという方なのだから日本語がペラペラなのは当たり前だった…。先週に続き、またもや気合いが空振りして気が抜ける私。

ところが授業が始まってすぐに、呆けている場合ではないことに気が付いた。プレゼン内容がハンドアウト資料の中に無いのである。休憩時間にスタッフに訊きに行ったところ、今回の講義内容に近いものを、近日中に出版予定なので講師希望により資料を配布できない、とのこと。なななななんですって! だって「資料代」という名目で授業料とってるんでしょーが! いやそれよりも、講義は日本語で行われているけれど、プレゼン資料は全部英語で書かれていて、しかもものすごいスピードでスライドをめくっていくものだから、聞いているだけで精一杯、とてもメモを書き取る余裕がない。そりゃ録音もしていたけれど、「ヘタクソなプレゼン」の典型ではスライド内容を音読して終わりだが、この先生、「上手なプレゼン」をなさるものだから、スライド内容を音読したりはしない。スライドとは違う内容をお話なさるので、それを聴きながらスライドに目を走らせて必要な部分をノートに書き取って、、、いるうちに、次のスライドに進んでしまう! 早すぎるっ!

実際の論文と、先生の創作による「ダメな例」の論文を比較しながら、「KISS」のルールにのっとって、いかに短く簡潔に書き替え、アクセプトされる論文にしていくかを繰り返し説明していただき、演習問題をやり、良い例とされる論文のどこがどう良いのかを確認しながらどんどん授業が進んだ。他にも、基本中の基本のことではあるが、論文のIMRADごとの時制、文型、順番などについても、実際の論文を用いながら具体的に説明していただき、英訳する際の大きな参考になった。日本人はとかく文法の正しさにこだわるけれど、1つの文章としては文法がカンペキでも、全体ではまるで「なっていない」論文もある、とのことで、その例を見せられたときには大いに納得。こういうのは漫然と参考書などを読んでいては実感として判らないことだなぁと思った。講義の最後にめでたく終了証をいただいて講義室を後にした。毎週のセミナーというのは少々シンドイのは事実だが、1回だけの単発セミナーよりもずっと充実した内容のことを学べて、今回は参加して本当に正解だった。去年も同じ内容のセミナーがあったし、おそらく来年もやるだろうと思うが、英訳のお仕事を少しずつ請けるようになってきた私には、今このタイミングでの受講がちょうど良かったと思う。

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2006年9月26日 (火)

数を撃つ

某公開求人サイトで翻訳者募集の情報を見て書類を送付したまま、しばらく何の連絡もなかったエージェントさんから、トライアルが送られてきたのが約2ヵ月ほど前。その時点で、確か募集から1~2ヵ月近く経っていたと思う。大変遅くなりましたがうんぬん、とメールに書いてあった。まぁ最近はこういうのも慣れっこである。トライアルは提出期限が決められていて、○月×日までに、と指定された。いつもギリギリまでエンジンが掛からないグータラな私、他のことでバタバタしているうちにトライアルのことを半ば忘れかけ、ある日手帳を見たら翌日が締め切りである。うひゃー。結局、締め切り当日の、それも日付が変わる直前になって、ようやくトライアルに取り組み、エイヤっと送信。あああ、あんなに時間をいただいていたのに、、、と思いつつ、それもこれも自業自得、自分の不徳のいたすところ、、、というより、単に私が実力不足というだけの話なのだから仕方ない。

トライアルは英和と和英があったが、当然ながらすべてを終えることなど出来るわけもなく、英和だけしか提出できなかった。両方ともやりたかったんだけどなぁ、残念なことをしたなぁ、もうちょっと早くから取り組んでいれば、、、でも当日は納品しなければならない案件でシュラバっていたし、いや、その日限りの問題じゃなくてもっと前からやるべきでしょー!と、いつものことながら心の中でブツブツと言い訳モード。それから一週間ほどして、トライアル合格というご連絡をいただいた。ほぇ? キツネにつままれたような、とはこのことか。なにしろ1時間ちょっとでバタバタ仕上げてお送りしたトライアルである。しかも、日英翻訳のほうも見たいので提出してほしい、とくに提出期限は設けないので仕上がったときに送ってくれれば良い、というコメントまでいただいてしまった。えええっ。そ、そんな、願ったり叶ったりというか、何ともありがたい…。それにしても、「○日までに提出」と言われるといつまでもエンジンが掛からない私なのに、いつでも良いと言われると、急いでやらなくちゃ、、、と思うのは何故なんだろう。単なるアマノジャク?

不謹慎かもしれないけれど、「数撃ちゃ当たる」という言葉を最近よく思う。トライアルを受け始めた頃は、自分に実力がないのだから数を撃ったって当たるハズもないと思っていたし、実際ほとんど当たらなかった。まだ早いと思っていたのであまり受けなかったというのもあって、初挑戦の年は5戦して1勝4敗だった(そのうち2つは不戦敗。つまりトライアルを見て分量と難易度に戦意喪失して送ることが出来なかった。アホな私は5つ全部同じ時期にトライアルを申し込んだため、締め切りがほとんど重なったというのも敗因の1つである))。1勝はしたものの仕事の打診は無かった。合否ラインすれすれで受かっても仕事なんぞ来る訳は無いし、私が依頼する立場だとしても、力量がまだまだ危なっかしい人に仕事を頼みたくは無いだろうと思う。翌年は勝率5割になりポツポツお仕事をいただけるようになった。今年は今のところトライアルに関しては全勝である(とは言っても、すべてが仕事に結びついているかというと、それはまた別の話になるわけだが)。少なくとも一応は安定してトライアルに合格できるレベルになってきたということだと思う。あとは数を撃てばどんどん当たるようになるんじゃなかろうか。もちろんエージェントさんとの相性もあるし、この先も全勝でいけるなどとは全く思っていないが。

かくして英和のときとは打って変わってマジメに和英トライアルに取り組んだ(いや英和もマジメにはやりましたですよ、超特級でやったというだけでマジメさは同じつもり)。思いがけず2度目のチャンスをいただけたのだ、じっくり丁寧にやらないわけにはいかない。やっぱり和英は少々シンドイのでそんなにスピードを上げてガンガンこなせるわけではないけれど、頑張って私としてはかなりスピーディに仕上げて提出した。…で。結果の連絡をいただいた。合格だった。ありがとうございます~。しかし自分で訳すと、やっぱり「冗長な英文」になるのを避けられない。他人が英訳したものなら「長いっ!」と一刀両断に切り捨てるくせに、いざ自分で訳すと、訳抜けと言われるのが怖くてつい長ったらしい英文に…。あああ。今後の課題である。

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2006年9月25日 (月)

意味不明

現在取り掛かっている日本語論文の英訳作業だが、、、くぅぅぅ、原文の日本語の意味不明箇所多し! 主語と述語が一致しない。本来なら前後の文脈をつなげるのが接続詞の役割のハズなのに、まるで関連性のない文脈で登場している接続詞(その場合、どういう意味にとれば良いんだ?)。1つの文章に2つ以上の主語。苦しいのは、今回のお仕事は論文まる一本ではなくIMRADの中の一部分なので、おそらく論文中のどこか他の場所で説明されているのではと思われる部分を読むことができないという点だ。それを読めたからと言って私が論文の中身を正確に理解できると断言することは出来ないけれど。。。

やっぱり二夜漬けで仕上げるなんて無謀だなぁ。でも無謀じゃない翻訳、つまり鼻歌まじりでお茶の子さいさいなどというラクな翻訳なんてしたことないんだっけ、そういえば、ははは・・・(と乾いた笑い)。体力作りでも、ラクなことだけしていては筋力はつかないというし。ちょっと心拍数が上がって、ちょっと体に負荷が掛かる程度の運動がベストなのだそうだ。翻訳も、ちょっと心拍数が上がって(?)ちょっと実力に負荷がかかる(???)、つまり自分の持てる力を総動員してもちょっと息が上がる、、、という程度が、一番自分を鍛えてくれるのだろうと思う。

とは言っても、母国語なのに読んでも意味不明の原文というのは別の意味で苦しすぎる! よく言われることだけれど、医学論文に限らず、科学系の文章というのは、書いている人が理系の研究者なわけで、つまり、文章を書くという意味では、あまり得意ではない人が執筆することも多い、、、のだとか。まぁ確かにそうだよなぁと思ってしまう。その所為だけでもないのだろうけれど。

こういう場合、翻訳者のみなさんはどうなさっているのだろうなぁ。某翻訳系メルマガで、以前、「翻訳者は原文通りに翻訳しなければならない。だから原文が拙かったら、拙いまま翻訳すべきである。原文の拙さを翻訳者が勝手に補ってはいけない」というのを読んだことがあるのだが、逆に、原文が拙いからといって拙いままに訳出したら、翻訳が拙い、と言われる可能性だって充分にあるわけで(=しかも私の場合は、原文が拙くなくたって翻訳「だけ」が拙いということが充分にあるわけで・・・)。分野やエージェントさんなどの対応の仕方にも依るのかなぁ。うーむ、しかし今回はどうしよう。第一、「翻訳者が勝手に補ってはいけない」などと言われなくても、どう解釈して良いのか判らない日本語なので、勝手に補いたくても補えないのである。うーむむむ。

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2006年9月22日 (金)

優先順位

私はあまりモノゴトを計画的にきちんと行っていくというのが得意ではない。ちっとも誉められたことではないが。大抵はギリギリになってから火事場のバカ力に頼って、目の前の壁に体当たりするがごとくの突貫工事で一気に仕上げるというのが普段のパターンである。でもいつまでもそれで通用するほど世の中は甘くないし、そもそも、何かあるたびにいつも突貫工事というのでは、歳とともにだんだん体力が持たなくなってきた気がする。血圧が上がりそうとでも言うか(=正確には「血管が切れそう」という感じ・・・)。低血圧だからちょうど良いのかな? いやいや、そういう問題ではあるまい・・・。

金曜日が提出締め切りだった治験翻訳クラスのレベルチェックテストを送信したところ、すぐに返事が返ってきた。いわく、前回(去年)の合格者は今回はテストを受けなくても良かったのだとか。先に言ってくれ! 大体こっちが何もいわずにDMを送ってきて(=つまり前回申し込んでいることは先方は判っているハズなのだ。前回の申込者にDMを送ってきたのだろうから)、受講するにはレベルチェックテストを、、、などと言うから、当然今回だって受けなければならないと思うではないか。あああ~、もう、他にもやらなければならないことが(しかも一夜漬けが・・・)控えているというのに、こんなところで大きく時間をロスしてしまった気分。そして今回送ったものに関しても、合格+例によってキャンセル待ち+例によって受講希望者多数につき、、、はいはい。ちょっと時間が勿体無かったかも。。。

昨日、いつもとはちょっと分野の違う英訳を受注してしまったので、そちらの下準備やら調べ物やらをしなければならないのだが、仕事とは関係のない一夜漬け(=演奏会)が気になって手を付けられない。優先順位が違うんじゃないの、と自問自答してはみるものの、進まないものは進まないのだから仕方ない。とりあえず明日が終わったら全速力で突貫工事、、、って結局はそうなってしまうのだなぁ。これではいつまで経っても状況は変わらない。今回の英訳は一夜漬けでは不可能な内容+分量なので、二夜漬け、、、じゃなくて! とにかく演奏会が終わったら修羅場らないように早めに手を付けたいところではあるが。。。

仕事の予定も遊びの予定も、きちんとオーガナイズできてこそのプロなのだろうと思う。私はまだまだプロとは言えない身だけれど、今の強引な時間配分のままではそのうち破綻するのは目に見えているので、「少しずつコツコツ」などというあまりにも私には不可能そうな理想は掲げないとしても、もう少し現実的な優先順位を考えられるようにしなければ、と思う今日この頃。

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2006年9月21日 (木)

治験翻訳

メディカルライティング講座の受け付け・案内のテーブルには、当然のことながらメディカルライティング協会のパンフレットが置いてある。それは良いのだけれど、その横に、なぜか治験翻訳講座のパンフレットが置いてある。なんで? メディカルライティング協会と提携しているわけじゃないだろうし、まったく別の、言うなれば営利の翻訳学校のパンフレットがどうしてポツンと置かれているのだろう。他の翻訳学校のパンフレットもあれこれ置いてあるなら判るけれど、ある1つの翻訳講座のパンフレットだけが置いてあるというのは。。。後発講座だから宣伝のために必死でパンフレットをバラまいているということなのかな?

その治験翻訳講座、昨年新しく始まったもので、今回が2期目の開講になる。受講するには先にレベルチェックテストを受けなければならない。新しい講座というのはそれだけでちょっと注目したくなるし、レベルチェックテストもどんなものなのだろうと思って、昨年、冷やかし半分で?テストだけ受けてみた。申し込みすればメールで送られてくるし、それを期日までに翻訳して返送すれば良いだけなので、わざわざ学校まで出掛けるという手間も掛からない(ただし講座自体は通学講座なので、通信で受講できるわけではないが)。基礎講座と実践講座があって、当然私は実践講座のほうで申し込んだ。結果は、合格だったけれど受講希望者多数に付きキャンセル待ち。キャンセル待ちかぁー。よっぽど人気があるのね。とは言っても、受講するかどうか決めかねていた私なので、キャンセル待ちでちょうど良かったかも。数日後、受講をキャンセルする人が出なかったので私は今期の受講はできない、という連絡をもらった。はいはい、了解でございます。

で、今年は2期目になるわけで、懲りずにクラス分けテストを申し込んでみた(というより、先方から勝手に講座案内が送られてきたので、今回も冷やかし半分でレベルチェックテストを申し込んだのである)。去年のレベル分けテストより若干短い文章の英文和訳だ。内容も今回のほうが私は好きだなぁ(前回はサッパリ馴染みの無い分野だった)。まぁ仕事じゃないからね、、、所詮は翻訳学校である、なるべくたくさん合格させてなるべく多くの人に受講してもらいたいのが本音だろう。あんなふうにパンフレットをバラまいているくらいだから。

いつまでも延々とお金を払って勉強をする姿勢はそろそろどうにかしないといけないよなぁ、と思いつつ、お金さえ払えば良いというのは安直でラクチンでもある。ラクチンな状況に身を置いていたら修行にならないよなぁ。うーむ。と思いつつ、とりあえず明日が締め切りなので、このレベルチェックテストを仕上げて送ってしまおう。時期的に開講ギリギリなので(講座自体は10月スタートである)、今回もまたキャンセル待ちになるかもしれない。前回は提出後にかなり丁寧な訳例をいただいたので、それを読ませていただけるだけでも勉強になるから、まぁいいか・・・。正直言って、治験分野はあまり得意ではない。論文のほうが好きだし面白いと思っている。でも仕事で1本まるごと治験薬概要書を訳すというのは(=以前に会社内でやっていたが)論文よりもはるかに遣り甲斐があるのは確かだ。なので、もう少し治験薬概要書に馴染みを持っておきたいというのはあるのだが、毎日あればかりやっていたら発狂しそうになる、、、気もする。向き不向きっていうのもあるのかなぁ。

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2006年9月20日 (水)

第三回目

いよいよNEJMの論文2本勝負!・・・と思っていたのに、なんだか雰囲気が違う。メディカルライティング講座の3回目の受講日、今日は3時間ぶっ通しで英語でレクチャーを聴きながら英語の論文を読むのだ、やるぞー、と思っていたのに・・・壇上でこれからレクチャーを始めようとしている人はどう見ても日本人。今日は外国人講師のハズ・・・いや中国人でも韓国人でも台湾人でもいいけどさ。スクリーンに映し出されたプレゼンテーションはどうみても日本語。あれ、、、NEJMの論文は? 英語のレクチャーは? と思っているうちに講義が始まり。。。あれ、、、シラバスを取り出して読んでみたら、、、どうやら私は3回目と4回目を間違えていたらしい。ありゃ。だって前回(2回目の講義のとき)、次回に使う論文ですので読んでおいてください、なんて言ってNEJMを配布するんだもの、何の疑問も持たずに「次はNEJMだ!」と思うのが自然ではないか。。。でもまぁ確かに、申し込みの時点から全4回の講義の内容はちゃんと書かれていたし、英語のレクチャーは4回目になっていた。。。というわけで、思い切りフライング。気が抜けたので、3回目の講義に今一つ気が乗らなくなる。

ところが今回がこの講座の一番のヤマ場だったのかもしれない。統計テンコモリだったのである。夏期講習で取った単発の統計セミナーの比ではない。これでもかの統計、統計、また統計。すでに講義が日本語なのかラテン語なのか宇宙語なのかも判らないような脳みそ真空状態の私は、ただひたすらスクリーンと手元の資料を見比べるだけだった。ようやく前半が終了して、休憩時間に入ろうかというとき、講師の先生が、「ではこれから演習問題をやっていただきます」という。ひょぇぇぇぇぇーーー? 

確かに入り口で手渡された第三回目の講義資料には、演習問題、というページがくっついていた。。。コレやるの。。。「○×の試験で、△日にランダム化を行った。その理由を述べよ」・・・わかりません・・・。「次の論文から統計解析手法に関する部分を抜粋せよ」、「どのようにして症例数を設計したのか」、「□※デザインとはどういうものか」、、、わかりませんー! 周囲を見ると、みんなペンを走らせてカリカリ書いている。何も書かずにボーッとしているのは私くらい。。。? その後、講師の先生がプレゼンテーションで解答を示して解説しながら、「あ、あとでお帰りの際に解答をお配りしますから、メモとらなくて大丈夫ですよ」とおっしゃった。こ、これは、、、英語の授業中に先生の模範訳を必死で書き取る高校生のために和訳を配布するのと同じじゃないか。。。でも解答を配布するといわれてホッとする自分。うーむ。

今回判ったのは「統計は難しい」ということで、、、いや、ふざけているわけではなく、講義の中で何度も、「研究者でもこの部分を間違えている」とか、医師でもこれを正確に答えられるのは2人に1人、などという話がたくさん出てきたのだ。言わばプロである研究者や医師でさえ正確に理解していないものを、ド素人で算数が天敵の私に理解できるわけがない。○○だと書かれている教科書は多いがそれは大ウソなので鵜呑みにしてはいけない、とか、参考書や教科書選びの話にも言及があった。とりあえず、「無作為抽出」という言葉を論文で使ってはいけない、ということだけはきっちり学んで帰ってきた。そういえばフィードバックで直されたことがあって以来、使ってはいなかったけれど、なぜ使っていけないのかまで踏み込んで考えていなかった。これで1つ覚えたぞ、と。でも1回の講座で1個しか覚えられないんだろうか私は。次回こそはいよいよNEJMである。論文2本読むために2週間くれたということだったんだな、うん。

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2006年9月18日 (月)

実力維持

9月の連休には例年は必ず英検の強化授業をしていた。今年もこの3連休で予定していた・・・のであるが、最終的にはキャンセルになった。まぁ諸般の事情が重なったからなのだが、今回はちょっと視点を変えて今までとは違うやり方にしようと思っていたのに準備が間に合わなかったというのもある。私が1人で教える方法ではなく、恩師や同士を巻き込んで合同勉強のスタイルにしてみたかったのだ。何しろ同士たちの意識が高く、一級合格後も2度目、3度目の合格を目指して一級を受けている人が多々いることだし(私も一応これまでに2回合格している)、既合格者も見方を変えれば一緒に勉強する受験生でもある。それなら「誰か1人が教える、それを生徒がおとなしく受身で教わる」という方法を取る必要は無いのではないか、ベクトルが一方向になるようなやり方ではなく、みんなで一緒に「参加型」の勉強ができないだろうか、と思っていた。でもこれって多数の同士の参加が不可欠なのだ。その辺りがいろいろ揃わず・・・。まぁ次回はぜひ実現させたい。やっぱり3連休だと皆さんいろいろ予定もあるのだろうなぁ。でも連休じゃないと私のほうが体力的にキツイんだよね。

秋の英検まであと1ヵ月である。強化授業をやらないと、私自身がリスニングをまったくやらないことになってしまう。以前は仕事でも英語を聴いたり話したりしていたが、翻訳専任になってから、それこそ国際電話の一本を取ることさえないし、英語を聴く機会も話す機会もまったくない。翻訳に必要が無いので二ヵ国語放送なども聴かないし。ここ数年にしても、リスニング教材を用意する目的でBBCニュースを聴いたりはしていたが、それがなければリスニングなんて本当に何もしていなかったことになる。いずれまた1級を受けようという気持ちはあるのに、こんなんじゃリスニングがガタ落ちなんじゃなかろうか。。。

実は先日、派遣会社でTOEICの模擬試験のようなものを受けた。私はもともとTOEICが苦手である。英検でも長文読解で点を稼いできたタイプで、一文一文の正確な意味というよりも、全体をざっくり理解することを武器に合格したという感じである。単語も判らないまま受かっちゃったし。なので、短文をテンポ良く読み正確に理解しなければならないTOEICは私向きではない。実際、1級に受かったあとに受験したTOEICでも900点を超えることは出来なかった(=ついでに言うと、受験料が勿体無いし、どうせTOEICは苦手だしという理由で、それきり受けていない、つまり私はTOEICで900点を超えていないまま。。。この先も越えそうにない気がしている。1級ホルダーとしては少々恥ずかしい話であるが)。その苦手なTOEICの模擬試験である。久しぶりにリスニング。久しぶりに文法問題。うわー・・・。と思っているうちに試験は終わり・・・。

ひどい点数で愕然とした。あまりにひどくて生徒さんには見せられない!(・・・と言ってもコレ読んでいる人もいるし、どうせ私はバカ正直なので自分から話しちゃうから良いんだけど)。実際のTOEICとは設問数も時間も違い、採点は100点満点換算だったので単純に10倍すれば実際のTOEICの点数の目安になる。なんとまぁ84点だったのですよワタシは。本番だったらたったの840点・・・。本番で900点超えたことが無い私なので、880~890点くらいであれば実力維持と言えたわけだが・・・。本番で50点も落ちたことになる・・・。ちょっと(かなり)ガックリ。ちなみにリスニングも読解も同じ点数だった(=私は本番でも両方とも同じ点数である)。その意味ではリスニングだけガタっと落ちたワケじゃないのが多少は救いだけど、逆に言えば文法や読解が落ちてるってことだ! それってマズイじゃないのっ。・・・手を抜けば当然の結果として落ちるという現実を突きつけられた。でも1級を受けていた頃と同じ分量を読んだり聴いたりするというのは非常に難しいことだし、効率よく実力を維持していける方法は無いものかなぁと思う。ラクな道を探してはいけないんだろうけどね。

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2006年9月17日 (日)

既存の訳

依頼された翻訳のことでアレコレ調べていたら、ネット上にすでに訳文が存在していた、さてどうしたら良いだろう、という話を翻訳者さんたちのコミュニティで良く見かける。結果としてどうするのかはケースバイケースなのだろうと思うが、確かにみなさんどうしているんだろう。

書籍やマニュアルなどの場合は訳文がネット上に転がっているということはあまりないと思うけれど、論文の場合は原文自体がネット上で比較的オープンになっていることも多く、原文が自由に入手できるのであれば誰かがすでに訳している確率だって高いわけだ。で、訳文があった場合はどうするのか。・・・どうするんでしょうね。私だったら「わーいラッキ~♪」と思ってその訳文を拝借・・・するかもしれない・・・けど、まぁ恐らくは、すでに訳文がありましたよ、と正直に報告して、請けた仕事が無くなる・・・というほうが可能性が高いなぁ。まぁそういう状況に遭遇したことが無いので実際のところどうなるかは判らないが。

それとは少し話が違うのだが、今回お引き受けした論文には抄録の訳文がすでに存在し、エージェントさんから参考として一緒にいただいた。翻訳しなければならない部分としては本編まるごと1本あるわけで、う~む、この場合、便利なんだか便利じゃないんだか微妙な感じ。抄録部分の既存の訳文を参考にしながら表現を合わせていかなければならない。参考になってありがたいという気持ちもあるし、自由な表現を制限されてしまうようで、ちょっとやりづらい気もする。自由な表現と言ったって私に大した表現力があるわけじゃないんですがね。やっぱりここは、大いに参考にさせていただいて勉強させていただくという気持ちが大事なんだろうなぁ。でも、既存の抄録の訳と比べて、本編の翻訳がすっごくヘタクソ!と思われたらどうしよう。。。(=つまり私の翻訳がヘタという意味である)。だって、並べられちゃうワケですからね。。。

先ほど必死に作業している最中、免疫応答と入力したかったのに、変換されて出てきたのは「免疫黄桃」・・・頭の中がシュラバっていたのに、なんだか妙に和んでしまった。モモ、好きなんですわ。あまりフルーツを買って食べたりしない私だけど、モモは買ってきて食べたいと思う数少ないフルーツのひとつ。今年はもうシーズンが終わっちゃったけど。なぜか故郷の思い出と結びつく果物なのだ。

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2006年9月15日 (金)

読み上げ

自宅でお引き受けしている仕事は、英文和訳と和文英訳が半々くらいの割合である。いずれの場合も、和文を読むのは(当たり前だが)サラサラ行くが、英文を読む場合には、それが原文の場合にしろ自分で訳出したものにしろ、かなり注意して目をサラのように読まなければならず、分量が多い場合には読むだけで結構疲れる。原文が英語の場合は下準備段階でのテキスト化作業、訳文が英語の場合には仕上がった英文の最終読み合わせ確認作業のときに、目を行ったり来たりさせながら英文チェックをするのは、疲れるということ以前に、見落としがあるんじゃないかといつも不安になる。

なので、英文の読み上げソフトを使いたいと思っているのだけれど、う~ん、なかなかコレ!というものが・・・。いくつか試した中で、今のところ一応の合格ラインだと思っているのが「ReadPlease」。無償版と有償版があるけれど、有償版がものすごくいろんなことが出来るというワケではなく、せいぜい、ウィンドウの大きさを自由に変えられて見やすいぞ、程度にしか違わないし(実際には細かい点でスペックが違うんだけど)、肝心の読み上げ機能部分が同じなので、無償版で充分かなというのが私の感想。

英文チェックをする際に、数ページのものだったらそれほどストレスなく(見落としの心配もあまり無く)確認できるけれど、十数ページ以上になると、とたんに「一行とばしちゃったらどうしよう!」などと思うので、読み上げソフトはその点で保険的に安心、かな、と思う。

http://www.readplease.com/

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2006年9月14日 (木)

数字の罠

メルクマニュアルを読んでいたら、あれ?と思う箇所に遭遇した。いやまぁ、アレと思う箇所は随所にあるけれど。一行ごっそり訳抜けとか日常茶飯事だし。気をつけなければならないのは、一見なんの問題も無さそうに見えるところだと思う。違和感のある訳というのは、読めば何かおかしいということが判るわけで、読み手に疑問をいだかせ、原文に立ち戻って注意深く読もうという気持ちにさせるという点で、最終的には大きな問題にならなかったりする。でも、一見なんの問題もなくスルっと読めてしまうような部分というのは、原文を確認することもなく、そのまま読み進めてしまい、間違った情報をインプットしかねないので、そっちのほうが怖い。

引っ掛かったのは次の部分。
原文:Ischemic colitis most commonly affects those in the 6th to 8th decade of life.
訳文:虚血性大腸炎は,60~80代の人に最も一般的に生じる。

一見なんの疑問も持たずにスル~っと読んだり訳したりしてしまいそうなのだ。数字の持つマジックという気がする。要は「高齢者」ということなんだろうから、訳文が「60~80代の人」でも大きな問題にはならない部分ではあるけれど。

似たような文章を、以前に通っていた翻訳学校の先生に指摘されたことがある。授業ではCMDTからの抜粋で課題が出されていたが、その中に「2nd decade of life」のような表現があり、私はパっと「20代で~」とやっていたのだ。

「those in the 6th to 8th decade of life」の部分、「人生の6番目の10年間」というのは60代のことではない。

人生の1番目の10年間:0~9歳
人生の2番目の10年間:10~19歳
人生の3番目の10年間:20~29歳
人生の4番目の10年間:30~39歳
人生の5番目の10年間:40~49歳
人生の6番目の10年間:50~59歳
人生の7番目の10年間:60~69歳
人生の8番目の10年間:70~79歳
人生の9番目の10年間:80~89歳

つまり、「50~70代の人にもっとも一般的に生じる」ハズなわけで。まーこれはメルク・プロフェッショナルの文章だし専門家が読むわけだから、50代なのか、それとも60代なのかなんてのは、読んでいる医師のほうがよく判っているハズだろうし、そう大きな問題にはならないだろう。でも仮に患者パンフレットのようなものであれば、この10年間を(訳者が)間違えたがために、読み手の患者さんが「自分はまだ50代だから該当しないので大丈夫だろう」などと思ってしまい、そのために必要な処置が遅れたりすることになったら大大大問題になってしまう。

子供の頃、社会科の授業で、○世紀は西暦何年から何年でしょう、というのがややこしくて良く間違えた。それに似ている気がする。見た目の数字に惑わされないように気をつけなくちゃ。

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引っ越し

数ヵ月くらい前からブログの引っ越しを考えていた。このブログは、もともとは医学翻訳や英語全般に関する話題や情報収集が出来たらという気持ちで始めたのだけれど、自分自身がまだ医学翻訳途上だし、晴れときどき曇りのち雨ではないが、日々のおしゃべりときどき英語ところにより一時翻訳、という程度にしか医学翻訳について触れていないので、思い切りブログが名前負けしているし、自分のモチベーションとしてもイカンなぁと思っていたワケで。だからといって、おしゃべり排除なんて息苦しくなっちゃうし。でももう少しアカデミック(?)というか、勉強や仕事について自分の覚書き程度でもいいから蓄積していかないと、当初の目的を少しも達成できなくなってしまう。

そんなワケで、このブログを始めて今日でちょうど丸一年になるので、ブログを引っ越しすることにした。引っ越しと言っても、ここはそのまま。じゃあ引っ越しにならない、とも言えるけれど・・・。正確にはブログを分けることにした。言うなれば、翻訳・英語・勉強・仕事メインのブログ(ここ)と、ぐーたらおしゃべりブログ(引っ越し先の新しいブログ)というところか。・・・なんか、どっちも読者が居なさそう。まぁ世捨て人の私は自己完結度が非常に高いので、自分が良ければそれで良いということで・・・。

一年間このブログをやってきて、平均1ヵ月2000強のアクセスをいただきました。ありがとうございました。平均で1日70件強くらいかな。大した情報発信力があるわけでもないし、第三者の目から見た場合に、果たして面白いことを書いているのかどうかも判らないのに、それでも読んでくれる人がいたんだなぁーと思うと、しみじみ有り難くもあり、ちょっと怖くもあり。読んでいる人が好意のある人ばかりとも限らないでしょうからね。・・・と、これはいかにも世捨て人な発想かも、ははは。このブログでのこういう話題も今回限りにします。

最近オベンキョモードの足りない私。食欲の秋ならぬ勉強の秋!のために、このブログは今後は医学翻訳っぽい話題で埋めていきたいと思うので、医学な方々、今後とも引き続きよろしくお願いします。アクセス数がガタっと落ちそうだけど(笑)。そして、私のおしゃべりに付き合ってくださる方々、新しいブログのほうでこれからもよろしくお願いします。引っ越し先はこっそりプロフィールに載せておきました(=この時点でちっともひっそりではないけれど)。

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2006年9月12日 (火)

第二回目

今日はメディカルライティングのセミナー第二回目だった。過ごしやすい気温になってきてホッとしているのだが、授業中にあまりに寒くて、もう一枚羽織るモノを持って来るべきだったかと少し後悔した。おりしも、講師の先生がプレゼンテーションを始める前に、「先週は35度だったんですよねぇ、今日は打って変わって25度ですねぇ」とおっしゃったくらいだ。それなのに室内の空調を変えないってどういうことよ!(=あ、これは先生に対してではなく、会場スタッフ側に対して・・・)。こっちは外気温に合わせて、そのままで心地よい服装にしているのに、35度のときと同じエアコンにしないでくださいよ、ホントに、、、、。来週は厚手のストールでも持っていかなきゃダメかしら。

前回は全体としての論文のルールやスタイルガイドなどの話だったが、今日は日本語表記についての話。これがすごく面白かった(と言いながら途中で睡魔に襲われそうになったが)。「ニオケルーシス」の話には会場から笑いがこぼれていた(その笑い声でフっと目が覚めた私・・・)。セミナーを録音していたので、安心してウトウトしてしまったというのもあるなぁ。初回授業のときは、録音機材を持っていこうかどうしようか迷った挙句、荷物になるからと思って持参しなかったのだ。でも、私の隣の席の方が、着席と同時にサっと録音機材をセットなさっていたのを見て、あ~やっぱり私も持ってくるべきだった、と思い、授業が始まってから余計にそう思った。なぜなら講師の話すスピードがものすごく速かったのだ。立て板に水。要点などを書き取るヒマもない。録音でもしてなきゃ聞き逃してしまう。ただでさえヒヨコ未満の私、聞き逃してはいけないことがたくさんあるのに。そんなわけで今日はちゃんと機材一式を持っていたわけだが、今度はそのおかげで安心して少しウトウトと、、、でも5分くらいのことですからっ!(とムキになって言い訳する)。

「~において」、「~における」、「~とされる」、「~を行う」、「~例が試験に参加」、などなど、挙げるとキリがないが、こういう表現は往々にして「悪い例」なのだそうで(特に最後の表現はジャーナルから即リジェクトされかねないそうだ)、明日からといわず今日から即仕事に反映させなきゃ、と思う次第。こんなふうに自分の仕事に直結する内容だと、「いつか役に立つかもしれないから取り敢えず聞いておこう」というのとは違って、非常に理解しやすいし、具体的にしっかりと印象に残る。いよいよ来週はNEJMを読む。しかも3時間で2本もやるらしい(今日、事前配布された)。うげー論文2本を3時間で。今日以上に授業は早く進むんだろうな。。。読んでおかなきゃ・・・。

帰宅後、あるファイルを友人にメールで送ったのだが、その送受信にいろいろ手間取って(DLできないに始まって、送り直した添付ファイルが付いていない、直リンクがクリックできない、何をDLすれば良いのか判らない、などなど)、まるでビックリ箱のように次々といろいろ難問疑問が出てきた。途中からはもう、これって漫才?と思うくらい、なんでこんな簡単なハズのことが出来ないんだぁ~~~?と思うと、逆になんだかこのシチュエーションが可笑しくなって笑いがこみあげてきた。最終的に無事に目的のファイルが友人の手に渡ったときには、いやもう、気分スッキリ爽やか、笑顔満開で祝杯モノ、という雰囲気である(笑)。一日の終わりを笑顔で締めくくれるなんて、免疫細胞が活性化しそうだし良い夢が見れそうだし。ありがたいことだなぁ。

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2006年9月11日 (月)

土砂降り

一度涼しくなった後の暑さは本当に体にこたえる。夏が大好きという人にとっては、行く夏を惜しむような暑さの盛り返しは嬉しいものかも知れないが、なるべく早く夏が終わって欲しい夏ギライの私としては、残暑の最後の一暴れのような暑さにはグッタリ。にもかかわらず、この週末は暑さの中を連日の外出。日曜日はとうとう本来の腕手袋デビューもしてしまった。私が楽器を習っている教室とは別の、個人宅で教えていらっしゃる講師宅に出掛けたのだ。私のところからは自転車で10分ほどの距離をチャリンコ敢行(歩いたら20分くらい掛かりそうな気がしたし、初めてお邪魔するので迷子になる可能性もあることを考えたら、歩いて行くのがメンドーだったのだ)。文字通りの炎天下を走るため、日焼け止めに帽子に手袋で完全武装していったが、、、いやぁ焦げるかと思った。本当に暑かった。講師宅でエアコンの効いた室内に通されてから、一気に汗が流れ出てきて、落ち着いて弾いていられなかったくらいだ・・・。

今日はあちこちで追悼コメントが聞かれる日。でも日本の田舎の片隅に居る私は淡々といつもと同じ毎日である。暑いなぁとか涼しいなぁとか雨だなぁとか、ノーテンキで平和な毎日ということだ。楽器の練習が終わり、いったん帰宅してから夜に実家に向かった。帰宅後(ほぼ深夜零時すぎ)からすさまじい土砂降りとひっきりなしの雷。あれだけ日中が暑かったところに急に冷たい空気が入ったせいなのかな。かなり近くに次々と雷が落ちたようだ。午前3時頃だったか、ベッドで雑誌を読んでいたときにフっとすべての電気が落ちた。ブレーカーの安全機能が働いたらしい。懐中電灯もないんだよね、我が家には(地震のときに持ち出すための災害時用の緊急持ち出し袋には入っているが、その袋自体、引っ張り出すのがメンドーな場所にある)。まぁブレーカーの確認くらいなら、携帯電話のスクリーンの灯りでどうにかなるけれど(=実際、それを懐中電灯代わりに無事にブレーカーを戻した)。

エアコンを切り(というか切れちゃったけど)、ビデオデッキやらFAXやらモロモロのタイマー設定を確認。いったん電源が切れると思わぬところがヘンなことになったりする。パソコンやエアコンが作動中の場合は、落雷の影響でオシャカになる可能性も高いというし。幸い、私は電気製品のコンセントは抜ける限り日頃から抜いているので、パソコンもモデムもプリンターもエアコンも電子レンジも、使っていないときはみんなコンセントが抜いてある。ブレーカーが落ちたときはパソコンを使っていなかったので問題なし。エアコンはガンガン稼働中だったけれど、幸い、こちらも飛んでしまうことはなかったので一安心。意外なところでトイレのウォッシュレット。急に便座が温かくなっていて驚いた。いったん電源が切れた後に電気が再開されると、どうやらデフォルトで便座温めスイッチが入るらしい(当然、夏場はこれをオフにしている)。みょーに温かくて気持ち悪かった。それにしても、こんな時間にブレーカーが落ちると、ぐっすり安眠中の方々は、朝起きて電気製品のスイッチが一切入らなくなっていてビックリしないかなぁ。冷蔵庫も数時間そのまま切れっぱなしになってしまうわけだし。他人事ながらちょっと心配してしまう。

今のアパートはとても住みやすくて気に入っている。ヘンテコな理由かもしれないけれど、雨の音がとてもよく響くところも大好きだ。私の部屋のすぐ下のあたりに自転車置き場があるのだ。トタン屋根というんでしょうかね、雨が当たるとものすごく景気よくにぎやかな音がする。雨だなぁ~と思いながら心地よくそのBGMに聴き惚れてしまうんである。でも今日みたいに雷の音がすごいときは、さすがに聴き惚れるどころじゃないな(笑)。いつまた電気が落ちるか気になってしまう。今年は梅雨が長かったが、9月の長雨もいつもより長くなりそうなのだとか。トトトン、トトトン、という雨の降る音をしばらく聞き続けることになるのかな。・・・それにしても、いつにも増して散文だな、今日のカキコミ。

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2006年9月 9日 (土)

練習不足

ここ数日、腕にベッタリ湿布薬を貼ったまま寝ている。いくら伸縮性があって貼りやすいと言われても、さすがに寝ている間にペロンと剥がれ落ちるのではないかと思い(=私は寝相があんまりよろしくない)、こういうときのために(?)アレがあるんじゃないの!と思い立って、腕用の長い手袋を装着。使用目的が違うような気がしないでもないが、何せまだ一度も使っていなかったのだ。チャリンコお散歩時の日焼け防止に使うつもりだったのだが、腕手袋をしなければならないほど日差しが強いときに、チャリンコ散歩などする気になれず、日が落ちてからのお散歩か曇りの日にしかチャリチャリしないんだもの。頭にも肩にも、もちろんサンダルのあとがクッキリつきそうな足元にも、容赦なく日差しが降り注ぐときに炎天下を走ろうなんて無謀というものだ。かくてこの夏にデビューしそびれた腕用の手袋は湿布押さえとして立派に役立つのであった。湿布の匂いが取れなくなりそうではあるが。

湿布薬が効いている気がするというのは、やっぱり腱鞘炎なのかなぁ。筋肉痛になるような勤勉なことは何もしていないのだが。重いものを持った覚えもないし。覚えが無い場所に青アザがクッキリなんてのは良くあることだが(しょっちゅうアチコチに躓くのである)、腕全体がこうも重い(+熱い)というのは初めてだ。冷やせば良いのか温めれば良いのかも判らん。買い置きしてあった湿布薬は温感タイプと書いてあるので(まさに唐辛子エキスである!)、どうやら温めているらしい。パッケージには、血液循環を良くして痛みを和らげます、と書いてある。その前は二晩続けて保冷剤で冷やしていた私。何やってんだか。どっちでも良いのかな、結構テキトーだ。子供が熱を出したときに、日本ではしっかり布団を掛けて温めて発汗を促すけれど、欧米では氷風呂に入れて冷やすんだとか(ひょえ~心臓発作を起こしそうだ)。要するに冷やそうと温めようとどちらにもそれなりの効果があるってことなんだろう、と思う日和見な私。

いよいよ演奏会が近づいて逃げ場がなくなってきた、いや別に逃げる気は無いが。腕が痛いってのに困ったものだ。圧倒的に練習不足。まだ最終的な音作りも完成していないし、弾き込んでもいないし、操作方法も怪しいし。他にも衣装どうするんだっけ?と、演奏以外でも考えなければならないことがあるのに手付かずだし。あああああー。まぁどうせスロースターターの私、こうなるのは始めから目に見えていたわけだが。頭から白いシーツでも被ってステージに上がろうかという案まで出ている(笑)。アンサンブルを弾くパートナーと衣装について話したとき、幸いにも曲に対するイメージがお互いに似通っていて、エーゲ海とかギリシャ神話とか、そんな印象を持っていたので、白いのを着たいよねぇ、という話になったのだ。でもさすがにシーツを被るってのは、、、かと言って今から何か作る(縫う)? そんな芸当できません。。。

先日は、アンサンブルのパートナーと一緒に、私のレッスン枠を使って先生まで巻き込んで音合わせとアンサンブル練習。柔軟な先生なので、私がいきなりアンサンブルを聴いてくださいとお願いしても快く対応してくださった。しかし普通はやらんだろうね、こんなこと。自分のレッスンに他の人を呼び込んで、先生に2人分の指導をお願いしてしまったのだから。出だしや合わせ方のタイミング、ボリュームのバランス、最後の決めの部分の間合いなど、2人で弾いているときにはそこまで注意が行かない部分にいろいろと客観的なアドバイスをいただけた。う~頑張らなきゃ。パートナーのほうはご自分のパートをほぼ弾けるようになっているのだが、問題は私である。全然進んでいないっての・・・。でも先生は笑って、度胸がありそうだし本番に強そうだから大丈夫でしょう~、などとおっしゃる。はぁ、本人もそう思っちゃってるところが問題なんですが。でも度胸だけじゃ弾けるようにはならないなぁ。

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2006年9月 8日 (金)

スパイス

このところあまり見かけないけれど、少し前まで、リレー形式で1つのテーマについて自分のことを書く○○バトンというものが流行っていた。私もここで経験バトンなるものをやったことがある。人それぞれ興味深いことを述べていて、特に実際の本人を知っている場合、書かれた内容とのギャップや意外な発見があって結構おもしろかった。そんなバトンシリーズの中に、調味料に関してアレコレ語る調味料バトンがあった。ちょっと変わった調味料の使い方とか、お気に入りの使い方とか。焼きソバにレモンをかけるのがお気に入り、という方がいて、その斬新さにおおっ!と思ったものだ。

別にここで調味料バトンをやろうというわけでは無いので悪しからず。私と一緒に食事をしたことがある方はご存知だろうと思うが、私はコショウ狂いとでも言うか、何にでもたっぷりコショウを振る(=さすがに白いご飯には振りませんけど)。すでにたっぷりコショウが振られている料理(シーザーサラダ、カルボナーラ、麻婆豆腐など)にも、さらに追加してたっぷりとコショウを振る。あるお店でカルボナーラを頼んだとき、一口いただいた後にコショウくださいとお願いしたら、ウェイトレスさんが心配そうに「申し訳ありません、お味が足りなかったでしょうか?」と訊いてきた。思わずこちらが苦笑い、いえいえすみません、私はちょっと異常にコショウが好きなんです、とお願いしたけれど。ちなみに出されたものをそのまま一口いただくのは料理を作ってくださった方への礼儀だと思っているので、味見もせずにいきなり調味料を振ったりはしない。でもまぁ、一口食べて必ずコショウを振ってりゃ同じかもしれないな。最近はいちいちコショウくださいというのが面倒になってきて、マイ・コショウを持ち歩こうかしらとさえ思っている。

自分で料理するときにも(料理をするということ自体が絶対的に少ないが)、味付けは塩・コショウではなく、コショウ・コショウという感じ。ほとんど塩っ気がなく(塩も醤油もあまり使わない)、コショウばかり振っている。そういえばハーブやスパイスを効かせると減塩効果があると言うっけ。別に減塩目的ではなく、単に塩を振る気にならないだけなんだが。でも最近、コショウに加えて、実験的に何にでも振っているスパイスがある。七味唐辛子である。

友人F嬢は、豪快にお酒を飲み、パカパカ煙草を吸い、良く笑い良く食べていつもパワフルだ。そして驚くほどフットワークが軽い。ヒョイヒョイと身軽に動く。別にスポーツが好きというわけでもなさそうだし、ジムに通っているわけでもない。それなのになんだってあんなにフットワークが軽いんだろうと不思議なのだが、その秘訣の1つが七味唐辛子なんじゃないかと思うのだ。とにかくF嬢は、私のコショウばりに何にでも七味唐辛子をかける。ラーメンにかけるのは驚かなかったけれど、お味噌汁にも七味唐辛子を入れるのを見たときにはビックリした。辛いものが大好きだそうで、エスニック料理も大好物とのこと。私はごく普通に辛いものが好きだが、辛さ×1倍しか食べられない。辛さ×5倍なんてゴメンナサイ、辛さ×10倍なんぞ敵前逃亡だ。インドネシア料理、タイ料理、インドカレーなどは、激辛マークがついていないものを確認して注文する。すでにトムヤムクンで辛さの限界。でも普通の辛口は好きなのだ。七味唐辛子も普通の分量を振る分には問題ない。で、野菜炒め、スクランブルエッグ、ミートソースなどに七味唐辛子を軽く振り振りしてみたら、なお一層、塩を使わなくても美味しいではないか。代謝も良くなりそうだし、腰の重い私でも少し体が軽くなって、F嬢みたいにフットワークが良くなるかしら。

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2006年9月 7日 (木)

炎上の後

どなたが書いたものだったか覚えていないが、ある翻訳者さんのコラムで、「CDを焼く」という表現について書いてあるものを読んだことがある。日本語では当たり前に「CDを焼く」と言っているが、これを初めて英語で聞いたときに「burn CD」と言われて一瞬なんのことかピンと来ず、CDが物理的に炎でメラメラと炎上する様を想像してビックリした、というような話だった。確かに、火を使うわけでもないのに「CDを焼く」という表現自体が本来は少し変なのかも知れない。CDに記録する、と言うのが本当なのかも。でも写真だって焼き増しすると言うし、「これを脳裏に焼き付けておく」などという表現だってあるのだから、実際の火とは関係なく日常的に普段から使っているわけだ。ただ英語でも同じ言い方をするというのは確かに少し新鮮な発見という気がした。

最近の表現ではブログ炎上という言葉があるそうな。これを英語で言うと、ハイ、ご推察通り、こちらもそのまま「flared up blog」になるようだ。ブログにコメントやトラックバック(による批判や非難)が殺到してブログ閉鎖に追い込まれること・・・なのだとか。ふぅ~ん。。。先日の皮膚科患者さんの件が端的な例として挙げられていたけれど、それを書いた学生自身のことはともかくとして(数多の方々がもう充分にあれこれおっしゃっているのだし)、それよりも私がすごいなぁと思うのは、その学生の日記や学校のサイトに殺到した方々の嗅覚というか押し寄せ方である。この例に限らず、炎上したブログやサイトというのは、どれも普段はおそらく身内が他愛ないおしゃべりをするようなところで、アクセス数だって高が知れていたのではないかと思う。そして何か問題発言があったときに、それっ!とばかりに今まで一度もそのサイトを見たこともなければ存在も知らなかった人々が集まり、その問題部分だけを取り上げて延々と批判し続ける。一体どこからそんなにも集まってくるのやら。

炎上に追い込まれたサイトやブログのオーナーを擁護したいわけではない。単に、この集団心理というか、数に任せてモノを言うときの一種狂信的な強さがこわいなぁと思うだけだ。それが道徳的とか倫理的に誤ったものであると思われる場合は特に、集団の暴走性とでも言うのか、一段高い場所から、オマエは間違っている、と優越感に浸りながら石を投げているように見える。。。まぁ元々は石を投げられても仕方ないようなことをしたんだから仕方ないとも言えるが。

件のブログについて、ある医療関係コミュニティで「医療関係者にとってもいろいろ考えるべき問題を含んでいるので、みんなで検討しませんか」というような提案があった。即座に呼応した方が「学生を批判する目的での“検討”なら反対」とキッパリおっしゃった後、その提案は立ち消えてしまった。正義と高尚さを振りかざして石を投げ続けたかったんだろうか。もう炎上したんだから、焼け跡にいつまでも居残ってその残骸を探し出して叩きのめそうとしなくたって良いと思うんだけどねぇ。私は問題のサイトも、そこに寄せられたコメントなども一切読んでいないので(そもそも私は「今いちばん話題のニュース」とか「話題のサイト」とかをあまり見ない)、今ここに書いていることが、すべてトンチンカンな話になっている可能性もある。ただ、内輪で楽しんでいる小さなコミュニティに、インターネットという得体の知れない世界から見ず知らずの人々が一気呵成に押し寄せて炎を上げて燃やし尽くすというのは、なんとも凄まじいなと思うのだ(繰り返すが今回の学生を弁護したいわけではない)。私のブログにしても、ごく一握りの方が(それもほとんどは見知っている方々だろうと思われる、笑)読んでくださっているに過ぎないが、何かの拍子に世界中(?)から非難が殺到するということがありうるわけだ。ブログの下に防空壕でも掘っておくかな(って何処だよそれ、笑)。

http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0609/04/news012.html

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2006年9月 5日 (火)

受講初日

以前から何度も参加しようと思いながらタイミングが合わなくて参加できなかったCBIのメディカルライティング講座をようやく受講することになった。今日が講義初日である。CBIの講座が有料になってから受講するのは初めてなのだが、うん、やっぱり新しい建物はきれいで非常によろしい♪ 以前はまだこの講堂が造られていなくて、とても味わい深い年代モノの建物で受講したからねぇ。冬場は冷房完備、夏場は暖房完備の(笑)、非常に環境に優しい(?)講堂での受講は大変だった。トイレも暗いし狭いし汚いし、どうにかしてくれーと思いましたわ。でもそれが一変。今日はちょっと冷房が強いのがタマに傷だったけれど、それに関しては、個別の調整ができないので上着等で調節してくださいとのアナウンスがあらかじめ受講案内の時点で言及されていたほどなので、こちらとしても織り込み済みだし。平日夜の3時間の講義、居心地良く受講できるかどうかはかなり大きな問題である。今日は二重丸。

初日ということで今日は医学論文の書き方を全体にざっくり説明して終わり。次回以降、細かい部分が言及されていくことになると思われるけれど、「ざっくり」でも知らないことがいろいろあって、ふむふむナルホド、と思うこと多し。そういえば2年近く前に受講した、やはりCBIの講座で、論文の書き方としてお手本中のお手本と言われている論文が紹介されたのだが、今回またその同じ論文がお手本として示されていた。へぇ~、有名なんだなぁ。その論文の書き方をあまりに誉めるものだから、2年前にその論文を探しだして、医学翻訳の勉強会で丸1本扱ったことがある。鐘と太鼓入りで「お手本」と言われるような論文であればぜひぜひ読みたいし訳したい。でも私自身にはまだまだ論文の良し悪しなど判りようがない。

今日の講義の中で、こういう表現は悪い例です、と講師の先生がいくつか例示してくださったものがあるが、そういう論文は実にたくさん見かける。正直に言えばそういう原文のお仕事ばかりと言っても良いくらいである。そして講師の先生自身、こういう書き方をしている論文が多いけれど、日本ではそれで良くても、海外の一流どころのジャーナルにはアクセプトされません、とハッキリおっしゃる。うーん、そういう場合、例えばそこに踏み込んだ翻訳をしたほうが良いんだろうか? まぁ投稿用の論文を英訳するわけではないので、私がメディカルライティングの領域にまで踏み込む必要もないと思うが(=そもそも、そんな高等技術は持ち合わせていないし、そこまで期待もされていないのは百も承知である)。でも、こうやって講座を受けて、「これは悪い例」と言われていることを知ってしまった以上、悪い例の日本語をそのまま英訳して良いんだろうか。つまり逐語訳をする限りは、どうしても「アクセプトされない悪い例の英語論文」になってしまうわけで、明らかに悪い例として挙げられたものと同じ表現を使っている場合、その部分だけでも、良い表現として認められるものに置き換えたほうが良いのかなぁ。それとも、裏方作業に徹して、そんなところにまで踏み込まないほうが良いんだろうか。うーんうーん。翻訳業の諸先輩方はどのようにしているのだろうかとフと思う。次回の講座のときに先生に訊いてみようかなぁ。

ところで昨日からやけに暑い。外を歩くとさわやかな風が吹いているのに、部屋の中に日中の熱がこもっているのか、えらく室温が高い。夜12時を過ぎても室温30度ってどういうことよ。とうとう我慢できなくて(これじゃ熱帯夜さながらである)、約一週間ぶりにエアコンを付け、しかも朝まで付けっぱなしにしてしまった。人工的な室温調整をせずに済むというのは体にとって非常に快適なことなのに、エアコンを付けたらテキメンなんとなく体がだるい。先日ちょっと残業したときにプチ水分不足状態になったが、そのときと同じように腕が熱くてジワジワと熱をこもらせている感じで、またもや保冷剤のお世話になった。今日のCBIの授業中も同じ側の腕が妙にだるく、これって単に暑さのせいじゃないみたいだなぁと思い、帰宅後に湿布薬を探して腕にベッタリ貼っている。すごい匂い。でも効いている気がする。腱鞘炎の一種なのかしらん?

クリニカルバイオインフォマティクス
http://cbi.umin.ne.jp/

日本メディカルライティング協会
http://www.jmca-npo.org/

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2006年9月 4日 (月)

訳文配布

活字離れとか読書離れとかいろいろ言われる昨今だが、読む人は今も昔も一定量を読み、読まない人は徹底的に読まない二極分化なのだろうと思う。だから読書量のアンケート調査なんかやったって、きっとほとんど意味は無い。日本人の平均読書量なんて言ったって、大量に読んでいる人が平均値を上げているだけの話で、実態を反映している数値にはなっていない気がする。要するに一部にまったく読まない人がいるということだ(白状すると、私も含めて、ということになるだろう・・・)。

読書をしなければ当然のことながら文章の読解力を育むことができないし、読解力がなければある程度の長さの文章を読むことは苦痛でしかなくなる。・・・という構図があるということで、イマドキの中学・高校の英語の授業では、和訳したものを事前に配布しているのだとか。内容が判っていれば、それなりの長さの英文でも苦痛を覚えずに読むことができるから・・・ということらしいのだけれど。えええええ???という感じである。自分でアレコレ頭をひねって文章の意味をつかむ楽しさがなくなるではないか。私は日本語と英語以外の言語はほとんど判らないけれど、外国語によるコミュニケーションの楽しみというのは、ボンジュールとかニーハオとかグラッチェとか、片手程度でもいいから、自分の知っている単語が聞き取れたり、使ってみて相手に通じたり、様々なシーンで自分の知っている単語がどんなふうに使われているかによって微妙に意味が違うことを感じ取ったりするのが楽しいのだと思う。今の単語の意味はコレかな?とか、自分の覚えている単語の意味とシチュエーションが噛みあわないけど違う意味があるのかな?とか、そうやって少しずつ語彙を増やして行くのが楽しいのだ。そりゃまぁ、資格試験レベルで語彙数1万語とかになると話は別だけれど(これはこれで、苦痛になるわけだが・・・)。

それもこれも、やっぱりゆとり教育の弊害なんだろうか? 少ない時間数の中でとにかくある程度の長文を読ませなければならない、でも読書離れで文章アレルギーの子供たちは、長文+英語というだけで拒否反応を示すから、先に訳文を配布してしまえば、とりあえず英文を最後まで読んでくれるだろう、とでも期待しているんだろうか。まるっきり逆だと思うけどなぁ。読めなければ、読めるレベルまで難易度を落とすべきなのだ。算数ができない私が、どんなに丁寧なアンチョコをもらったとしたって大学の研究室レベルの解析問題が解けるハズはないのだ。算数の基礎力をつけたいのであれば、中学の教科書に戻って、一次関数とか二次関数とか、Xやらπやらθやらに取り組むべきなのだ(いや、やりたくないですけどね)。

徐々に難易度を上げていくという点で、算数と英語は同じだと思う。長い英文が読めないなら、全体量も短く内容的にも読めるレベルに戻すべきだ。そして自力で読める感動を味わうべきなのだ。あらかじめ訳文を渡されてしまっていたら、自分の力で読む喜びがなくなってしまう。当然、行間を読む楽しみや、直接は書かれていないけれど著書が一番訴えたかったことは何かなどを思い巡らす力さえ身につかなくなる。それに、訳文を先にもらうことに慣れてしまったら、自分はある程度の長さの英文が読めるのだと勘違いしはしないだろうか。そして、実生活で訳文なしのナマの英語に接したときに、まったく判らないことにショックを受けたりしないだろうか。教える側の都合(そのほうがラクだからという理由)で、とんでもないことをしているんじゃないかという気がする。

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2006年9月 2日 (土)

古典音楽

毎日ネットでチェックしているナンチャッテ星占いによると、ここ4~5日ばかり私の運勢は絶好調。総合運・仕事運・恋愛運・金運すべての項目で、何をやっても行け行けGO!GO!状態。それに反して私自身は気分的に絶不調。ヤル気なし根性なし気力なしで、できれば布団をかぶってひねもす寝ていたい。考えようによっては占いの結果だけでも絶好調なのが救いかもしれない。これで占いまで絶不調だったら、これ幸いとばかり完全引きこもりになりそうである。

そんな絶不調気分の中、昨日はクラシック音楽のコンサートに行ってきた。これがもう美味しいトコ取りのエンターテイメント満載のお得感テンコモリのコンサートだった。最後のアンコールでは全員起立でフルオーケストラと一緒にベートーベンを歌うなんてことまでやらせてくれて、久しぶりに(定例会は別として)お腹から声を出して合唱という快感も味わってしまった。いやー気持ち良いですね、声楽をやってる人の気持ちってこんな感じかしら、などと思ったり。小・中学時代は合唱部だったのだけれど、当然ながら今は圧倒的に声量も声域も落ちてしまって、思うように声が出なくて悔しい思いをすることも多いので、きちんと歌いたいなぁなどとも思うのである。

本当は楽器のほうでも古典をやりたい気持ちはあるのよねぇ。電子楽器だと、パーカッションやエフェクトですぐに演奏テクニックを誤魔化すことが出来てしまうし、初心者でも楽しめるという利点はあるにしても、いつまで経っても演奏技術で勝負せずに操作テクニックやら効果音でお茶を濁すような弾き方でまかり通ってしまう。その点、アコースティックはまさに腕一本勝負という感じがして。電子楽器でもクラシック曲を扱ったものもあるけれど、パーカッションなし、最小限の音色変化のみでオタマジャクシの羅列に取り組む覚悟はまだない。そもそもクラシックの名曲ってのは大概みんな難しいのである。ろくに楽譜も読めない私に弾けるシロモノではない。しかも大抵は4級以上レベルだったりする。5級手前で四苦八苦の私には手が出ない。でもいいなぁ、いつかやりたいなぁ、ビートの利いた曲は所詮はどれも同じに聴こえてくるんだよねぇ、あるいはこれが歳をとるということなのかしらん?

朝の連ドラの主人公はピアノと音楽が大好きな設定なのだが、うーん、あまり音楽が不可欠というふうには見えない。何かのついでにピアノを弾いているというふうにしか思えないし、他のことを犠牲にしてまで音楽に向かっているという覚悟や気合いは少しも感じられない。まぁいいけど・・・。そういえば、主人公の婚約者が戦争に行った直後から、公式サイトのほうではその婚約者が失明して帰還するという話がまことしやかに囁かれていて、一体いつ彼は戻ってくるのだろうかと思っていたのだけれど、どうやらようやく帰ってくるらしい。こんなギリギリまで引っ張るとはなぁ。せめて母親の死に目くらいには間に合うように帰ってくると思っていた。今月で番組も終わるんだっけ、大団円で終わるのかしら。

http://www.toshiba-emi.co.jp/st/best100/concert.htm

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