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2006年3月 8日 (水)

車の両輪

一昔前、日本語教師の資格試験がちょっとしたブームになったとき、日本人なら日本語が話せるのだから日本語教師なんて簡単に出来るだろうと思った人も多いのではないかと思う。大した勉強なんかしなくても、日本語が話せれば問題ないだろう、と。でも、日本語が出来ることと日本語を上手に教えることとは別の技術だ。スポーツ選手でも、一流のプレイヤーが一流の監督とは限らないとか、試験で満点を取れる人が教え方が上手なわけではないとか。通訳や翻訳もそれと同じ。外国語や日本語が普通に出来るんだから「通訳(翻訳)くらい」カンタンでしょう、と思う人もいまだに世の中には多いみたいだ。とんでもないよなーと思う。そんなに簡単にできるならとっくの昔に自動通訳機とか機械翻訳が全部サクサクできるようになっていて、世の中にはニンゲンの通訳者も翻訳者も要らなくなってしまうだろう。でもそんな時代はまだまだ当分は来そうに無い。そんなカンタンなものじゃないし、だからこそ、遣り甲斐もあって面白いのだ。

専門知識(私が目指す分野で言えば医学知識)と翻訳力(外国語力と日本語力)は両輪なのでどちらも鍛えていかなければならない。教科書や参考書やネットを駆使すれば、それっぽい専門知識は、なんとか後付けでも身につけられるようになるんじゃないかと最近思っている。実は本当に難しいのは翻訳力のほうだろうと思うのだ。これってセンスの問題というか、目に見えては実力がつくものではないし、元々そういうセンスを持っている人にとっては、他人に教えようにもどうやって教えてよいのか判らないだろうと思う。教えたり教わったりが出来ない部分なのだ。結局、自分の言葉のセンスは自力で磨くしかない。良質の文章を読むとか、翻訳の上手な人の訳したものを読ませていただくとか。あるいは下手な人の訳したものを読んで、ふむ、こういう部分がヘタなのね、これは真似しちゃいかんな、と確認するとか(でも上手か下手かすら見極めつかない実力の人間にはこれはできないけどね、ははは)。

どちらが欠けても車はちゃんと前に進むことは出来ない。専門知識のほうが一見ハードルが高そうに見えるし、実際、習得にはそれなりの金額がかさむのは確かだ。でも最後にモノを言うのは、専門知識ではなく翻訳のセンスのような気がする今日この頃。一見簡単そうに思えることのほうは、実は奥深くて難しい。卵料理のようなものかな。苦手なんだよね、タマゴ料理。いや、得意な料理なんて一つも無いけど(笑)。

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