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2006年3月 4日 (土)

訳文校正

先生にお誘いいただいた翻訳プロジェクトは無事に終了。今回は先生からすべてのフィードバック(最終版)をいただくことができたので、非常に勉強になった。「英文和訳」ではなく「翻訳」とはどういうものなのか、プロの仕上げを間近に見させていただくことが出来て本当にありがたかった。こんなこと、望んだってそう経験させていただけるものではない。先生から返ってきた訳文を見ながら自分の訳文の悪いところや訳し方のクセを分析する。こういう積み重ねが必要なんだなぁ。たまたま私自身、このところ他の人の文章を直す機会が立て続けにあったため、書くとき(翻訳)に気をつけるべきこと、校正の視点で気をつけることなどについてアレコレ考える。どっちもそれなりに難しい。そしてどちらの技術も高めなくては翻訳者としてやっていけないと思う。

英検クラスの1人から、ビジネスで非常に込み入ったフォーマルなレターを書かなければならなくなったが英語がいまひとつ自信がないということでレターの校正を頼まれた。文章一つ一つは良いのだけれど「英文レター」の体を為していない。あんなに英作文の練習をしているでしょう!と思いながら容赦なく赤を入れる。結論を最後に書きたがるのは日本人の悪い癖だ。でも人の書いたものを直すのは心情的にも申し訳ない。なるべく本人の表現を活かしてあげたいと思うと直すのも一苦労。自然な流れで自然な表現を使うというのは慣れていないと本当に難しい。でも果たして自分がゼロから書くときに、ちゃんとそういうふうに書けているんだろうか? 人の書いたものを直すのは一種のアラ捜しと同じで、欠点が見えやすいから直すべき点にすぐに目が行くけど、自分で書くと欠点が隠れてしまって(思い込みもあって)正しく書けるかどうか怪しかったりする。

ボランティア翻訳のほうでもこのところ続けて校正を頼まれている。翻訳スタッフさんは増えているのに校正を出来る人がいないらしい。読ませていただくと、まさに「英文和訳」的な(直訳とまでは行かないけれど)ぎこちない不自然な和文が書かれていたりする。私自身がゼロから訳したら、いかにもこう書きそうだ。でも校正する以上、心の中で申し訳ないと思いつつ、ばっさり直す。訳すときはどうしても原文表現に囚われてしまって、原文にひきづられた訳文になりがちだ。結果として出来上がった訳文はなんだかぎこちない不自然な表現になるけれど、それ以上の訳語にすることができなかったりする。校正では、原文から少し離れた視点で、意味は落とさずに自然な表現を心がける。ホンモノの翻訳のプロなら、この両方を自分1人でやらなければいけないってことなんだな。自然な訳語にするってほんと難しい。

第一回目の分納の時には不自然表現満載だっただろうと思われる私の翻訳も、二回目、三回目、と、どんどん良くなっていった・・・ハズ・・・と思いたい。実際、気のせいか先生からいただいた最終稿では直しの数が減っていた・・・と思うんだけど・・・。どうだろう。日々修行だなぁ。

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