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2006年3月31日 (金)

年度末日

3月も終わりである。思い出したように帰り際に「一ヶ月経ったねぇ、慣れた?」と部署の人に訊かれたが、そんなことよりも今日はいろんな人が出たり入ったり、「明日より○○部署に移動になりまして」だの「○年こちらでお世話になりましたがこのたび××に移動になり」だの、次から次へと挨拶回りが繰り広げられた。私にしてみれば初めて拝見する方々ばかりだが、そのたびにみんな起立してお辞儀して時には拍手なんかもする。こういうとき、いつも、不思議の国ニッポン。。。と思う。村社会の名残だろうか。

会社での論文検索作業について先日書いたけれど、やはり4月の翻訳件数は大幅増加の見込みのようである。論文の選出作業が終わってリストが戻ってきたので来週から翻訳に入るわけだが、前月の2倍にまではならないが軽く1.5倍にはなるらしい。ふーん。そう言われても私には分量的にまだピンと来ないので実感が沸かないなぁ。残業てんこもりとかになるんだろうか。まぁ別にそうなったらそうなったで構わないが。でも来週はいろいろ予定が入ってるんだよねぇ。いや夜桜能だけじゃなくて(笑)。

アレもコレもは手に入らないと思っているけれど、考えてみたら、「アレもコレも何もかもすべて手に入らない」という状況だって起こりうるわけで、それと比較したら、何か一つは望んでいることが手に入るというのは有難いことだと思ったりもする。今の職場に移った大きな理由の一つがフリーランスへの助走期間とすることなのだが、その願いは少しずつ実現しそうな気がする。別に私は仕事が生き甲斐とかキャリア志向とか三度のメシより仕事が好きとか、そんなことはぜーんぜん無いのだが(三度のメシは何より好きだし、グータラ寝るのはもっと好きだ)、でも今もしも時計が一ヶ月さかのぼったとしても、やっぱり残念ながらダーリンのために時間を割くよりも自分のために時間を割くのだろうな。ところでここ数日どういうワケか妙にブログのアクセス数が増加している。これはもしや劇的な別れ話を期待されているのだろうかとも思うが、でもそんなドラマティックな展開は起こりそうも無い。ここ数日私が悩んでいることといえば突然顔に現れたニキビだったりするわけで(まぁそれも考えようによってはストレス溜まってるんだろうなーとは思うが)、世の中は淡々と回っていくのである。そうして明日からは4月なのだな。

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2006年3月30日 (木)

良い大人

高校時代の恩師が喫茶店を始めたので友達とお邪魔してきたという話を以前に書いたが、そのときに一緒に出掛けたM嬢はその後も何度か遊びに行っていると言う。私も行きたいのに、ずるいー、と思うが、何しろM嬢は喫茶店にチャリンコで行けるくらい自宅が近いのだ。それなら私だってチャリンコデビューしたし!と一瞬思ったが、いまだにまっすぐ自転車をこいでいるのかアヤシイ私、そもそも隣駅までもまだ行けないというのに、7駅も先の恩師のお店まで辿り着けるとは思えない・・・。というわけで私のほうはあれ以来すっかりご無沙汰しているのだが近々ぜひとも再訪したいと思っている。

ちょうど春休み時期になり、M嬢は子供を連れて喫茶店に行ったらしい。その理由が笑えたのだが、「良い大人を見せたいから」だそうだ。確かにね、先生には本当にお世話になった。教師としてというより、人間として尊敬できる人である。そういう大人が随分と減ってしまったのだろう。かろうじて私たち世代がまだ子供のころは、周囲にはごく普通にそういう「良い大人」が居たように思う。近所の子供たちを普通に叱ってくれる小父ちゃん小母ちゃんたちがたくさん居た。でも今の子供たちの周囲には、捜さなければそういう大人は居ないのだろう。振り返って私なんぞは良い大人になっているんだろうか? どうだろうねぇ、自信はないですな(笑)。M嬢に以前に聞いた話だと、学校ではとにかく子供たちに知らない人とは話をするなと教えているそうで、つまり私などは子供に話しかけただけで逃げられてしまうそうである(この際、怪しいとか怪しくないとかいう問題ではなく、道を訊かれただけでも何でも、とにかく学校では「話しかけられたら逃げろ」と教えているそうで)。あるいは、極力周囲とは関わらないようにしている結果、「良い大人」が居ても気が付かないのかもしれない。それは子供だけではなく、大人同士でもそうなんだろうな。みんな極力、周囲とは関わらない、見ない聞かない知らないフリをして、どんな人がそばにいるのかも判らずに生活しているのだろう。恩師のようなタイプの教師も、今の時代の学校には居なくなってしまったのかもしれない。

ところでM嬢いわく、「別れたんだってねー、春だねー、いつものことだねー」って、あのねぇー。まったく20年も付き合っていると本当に口が悪くて仕方ないわね、お互い様だけど。でもきっとM嬢も「良い大人」の部類なんだろうかねぇ、なんだか釈然としないな(笑)。

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2006年3月29日 (水)

夜桜見物

いよいよ東京の桜も見ごろになってきた。職場は東京タワーの近くなのだが、桜が見事に咲いてきて、昼休みにフラフラ歩き回ると、あちこちでカメラのシャッターを切る人々が居る。でも夜は冷えそうである。先週、同じ部署の方から花見のお知らせをいただいた。来週あたり部署で花見をするので都合が良ければ参加してくださいとのことだった。で、今夜が花見なのである。初めにその話を聞いたときには「郷に入っては。。。」と思い、出席するつもりでいたのだが、どうも気分が乗らなくなってしまったので申し訳ないが今日になってお断りした。もともと私は会社の行事というのは苦手なのだ。出来る限り出席したくない性格に加えて、今ちょっとばかり気持ちが不安定になっているのである。先日久しぶりに元ダーリンと話をして、来週の夜桜能をどうするかという話をした。で、来週は夜桜能に行くのである。なので会社の夜桜見物などどうでもよくなってしまったのだ。そのことで非常に気持ちが波立っているという事実もある。まったく人の気持ちというのは厄介だ。とは言っても、やっぱり慣れてしまっている自分がそこに居て、我ながら感心するくらい普通に事態に対処できている。

とにかく今日は朝から非常に鬱々としていたのだが、世の中というのは上手くできているもので、アレもコレも同時には手に入らない代わりに、別のものが思いがけず手に入ったりするのである。午前中に、今月上旬の仕事のフィードバックと評価のご連絡をいただいたのだが、非常に良いとの評価であった。今まではフィードバックや評価が良かったときは、納品後一週間くらいでご連絡があるところだったので、こんなに長く連絡がないということはクライアントにご満足いただけなかったのかと思っていたところだったので嬉しかった。そして夕方になって、先日受けた有償トライアルに合格したという通知が来た。おお、初の英訳トライアル合格である。これはウレシイ。その後、早速短い仕事を一件いただいた。いわゆる「本当のトライアル」というヤツだな。これがダメだったら干されるのだ。頑張りましょう。

この時間帯は花見をしている方々も多いのだろうなぁ。私は今週末に実家の近所の桜並木でも歩いて桜を満喫することにしよう。きっと週末あたりが満開だろうと思うので。来週の夜桜能はおそらくすでに桜は終わりかけているだろう。なんだか暗示的だなぁ。

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2006年3月28日 (火)

論文検索

今の職場での私の仕事は論文翻訳がメインなのだが、同じ業務に従事している派遣スタッフさんがもう1人いる。先輩派遣スタッフのSさんは、医学翻訳歴8年という大ベテランさんだ。フリーランサーになる前は製薬企業内で正社員で翻訳専任だったというから、まさに正統派医学翻訳者。こんな方と一緒に翻訳するなんて私のヘタクソさが際立つではないか。というわけでせっせとSさんの翻訳なさった過去の論文を拝見させていただき(勉強してねと言われているので、仕事時間内にせっせと原文と訳文を付け合せ、さらにドンドンTraToolに入れている。これでお給料もらえるんだからありがたい限り)、自分が翻訳する際の貴重な資料にさせていただいている。それにしても読めば読むほどSさんの翻訳は上手だ。感服する。どうして在宅の仕事ではなく企業内で翻訳をしているのか伺ったら、やはり収入の安定を取ったらしい。安定志向が強めの方なのね・・・。私だったらSさんほど翻訳ができたら絶対に自宅に引きこもるけどなぁ。Sさんだったら間違いなく充分に安定した受注が見込めると思うのだけど。まぁ性格というものだろうか。

ところで論文は手当り次第に何でも訳すわけではなく、当然ながら、会社に関連性のあるもの、必要そうなものをピックアップして翻訳する。私も今の職場に来てから一ヶ月ほどになるわけで、ようやく全体の流れが見えてきた。月末に、指定の医学雑誌(約60種ほど)のすべての論文タイトルをリストアップする。前月末にリストアップした日以降のすべての論文ということだ。このリストを元に、上司や他部署の方々、顧問の医師などを加えて必要な論文をピックアップして、それを翌月(といっても数日後という意味だが)にSさんや私という翻訳スタッフがいっせいに翻訳に入るという流れらしい。

この論文リストアップ作業も私たちの仕事ということで手順を教えてもらった(先月は私は居なかったのだからやっていないので、今回が初めてのリストアップ作業)。この業界の方なら御馴染みの論文検索サイト、PubMED(パブメド)を使って、次々とジャーナルを指定し、論文リストを出していく。途中で変なことに気付いた。数ヶ月にわたってまったく新刊発行がない雑誌がある。それ以前の記録ではずっと続けて発行されているのに。変だな? でも最新号と思われる号数を入れても出てこない。医学雑誌の発行刊の番号のつけ方はどれも独特というかヘンテコである。○巻○号、というふうに付けられるが、週刊アリ季刊アリ不特定発刊アリで、雑誌によってそれぞれだ。直近で記録されている発刊号(例えば10巻5号)の次の号数(例えば10巻6号)を入れて検索できなければ、次の巻数1号(例えば11巻1号)で調べる。でも出てこない。そんなハズは無いんじゃないかと思って、号数を無視して巻数(11巻のみ。号数ナシ)で調べた。そうしたら、ドバっと出てきた。つまり次の巻は出ているのだ。でもなんで1号で出てこないの? よく見たら、あらまぁ、「1-2号」となっている。これはアレですな、年末年始合併号とか、そういうヤツ? でも正確に「1-2」号、というふうに入力しないと検索できないなんて、ちょっとPubMed、ひどいんじゃないの?と思ったが、まぁ仕方ない。というわけで、本来なら前月にピックアップすべきだったと思われるものがドバドバ出てきた。私は淡々と全部リストアップした。

作業が終わった後にこれをSさんに伝えたら非常に驚いていた。私が思っていたよりもコトは重大だったらしい。すぐに上司に報告。本来なら前月、あるいは前々月に検討し翻訳すべきものが膨大にあったようなのだ。Sさんいわく、「今月(=来月)分は翻訳すごく多いかも・・・」とボソっとつぶやいた。あ、なるほどね、そういうことになるのか。まぁ私は構いませんけど。上司は「よく気が付いたねぇ!」としきりに感心していたが、、、いや、あの、普通は気が付くんじゃないですか? 頭が良いとか悪いとかの話じゃなくて、ちょっと変だぞ、と思うべきだと思うんだが・・・。目端が利くというのだろうか、疑問を持つ姿勢って大事だと思うのだが。この仕事を何ヵ月も何年もやっている人が、そういう疑問も持たないということのほうが私には不思議だった。疑問を持たなくなったら翻訳者は調べ物も出来ない。検索ひとつ取っても、なかなか奥深いものである。みなさん、1号がないからといって発刊されてないと思っちゃいけないようですよ。適宜疑ってかかりましょう。

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2006年3月27日 (月)

再びヨガ

友人F嬢とB嬢(最近は別名マダムBと名乗っておられる)と連れ立って3人でピラティスに行ってきた。前回F嬢と行ったのが10月だから、ありゃりゃ、もう半年近くになるわけですな。その間に私も自分でヨガスタジオをいろいろ探したりして1月にも一人で行ってきた。でも半年で3回しか行かないんじゃ、あまり行く意味がないような・・・いや、やらないよりマシだろう。というわけで。行ってきましたピラティス。10月に行ったときにはピラティスを申し込んだつもりでなぜかヨガだったのだが、今回は間違いなくピラティス教室だった。ようやく両者の違いがそれなりに判明。シロート考えに過ぎないのだが、ピラティスのほうが呼吸や姿勢にうるさい。というより、それがすべてという感じである。激しい体の動きはほとんどなく、汗をかくようなことも無かった。小道具のボールがすごく使いやすくて気に入ってしまったのだが残念ながら売り物では無いそうでスタジオでは販売していなかった。

前回ピラティスと間違えて紛れ込んでしまったヨガ教室は、初心者向けではなく中級者向けクラスだったこともあって、うひゃーキツイ~!と思えるようなポーズも多く、静かな動きにもかかわらずダラダラと汗をかいたのに比べると、ピラティスはちょっと物足りなくも感じた。終わったあと、F嬢とB嬢も同じような感想を言っていた。となると、次はヨガ教室に行くしかないでしょう。いや別に良い歳をしてオテテつないでチーチーパッパではないので、連れ立って行く必要はまったくないのだが、ただでさえ腰の重い私、一人じゃなかなか実際の行動に至らないわけで、だったらこういうのはお祭り騒ぎのひとつにしてしまうのがヨロシイ。友人とのおしゃべり+ご飯付きヨガ教室、という位置づけになるのだ。早々に次のヨガ教室のスケジュールを確認し、近日中に今度は汗をかきにヨガに行こうと3人で決意する。ピラティスが終わったあと、当然ながら晩御飯に繰り出した。中華に行ってしまったので、完璧に「摂取カロリー>消費カロリー」である。でもまぁお祭り騒ぎだからね、お祭り騒ぎ。それで少しは体を動かす気になるのなら良いではないか。F嬢がタンゴに興味があるというので、おっしゃ、それも行くべ、と話がまとまる。だったらサルサやベリーダンスなんてのはどうだ?とも思ったけど、ちょっとそこまでは勇気が出ない(笑)。

そういえばチャリンコで散策するようになってから、少し腰痛が軽くなった気がする。私は子供のころから肩凝りで、今となっては「凝っていない状態の肩ってどんな肩?」と思うほどに筋金入りの、いや、鉄板入りの万年肩凝りであるが、翻訳業の職業病と言われる腰痛にはつい最近まで縁がなかった。ここ数ヶ月くらいで、もしやこれが腰痛か?と思うような腰の痛みを感じるようになったのだが、痛いのは寝るときだけなので(体を横にして寝る体制になると痛いのである。日中起きているときにはぜんぜん痛くない)、昼間は忘れていて、そのため対策らしいことを考えることさえ忘れていた。でもチャリンコ散歩をした日は夜に布団に入っても腰痛を感じなかったので、「おおお、こりゃスゴイ、ほんのちょっとの運動(と言えるほどの運動でもないけれど)をするだけでも違うものなんだ!」と思う今日この頃。なのでヨガでもピラティスでも何でも良いから、とにかくちゃんと続ければ良いのだろう。翻訳でも何の勉強でもしかりだけど、理屈より実践なのだな、うん。グータラで体を動かすことが嫌いな私だが、このままでは単に体がナマるだけでは済まず、いずれ病気を招きかねない。チャリンコとヨガ程度なら心理的にも技術的にも負荷はほとんどないし、季節は春だし、外の風も気持ちよいし、なんだか良い感じで続けられそうだ。

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2006年3月24日 (金)

科学英語

昨日は久しぶりに仕込みに燃えた。翻訳の下作業でもなく歌でもなく、今度は英語教材である。1月下旬の英検本番が終わったあと、今はちょうどお休み期間にしているので、ちょっと各種記事を読み漁る作業をサボっていたのだ。でもそろそろやっておかないと後がツラくなるので、まとめてエコノミストを大量に一気読みする。脳ミソから煙が出そうである。久しぶりに頭を使った気分というか・・・。でもエコノミストの切り口は面白い。BBCも面白いのだが、エコノミストの辛らつさというかシニカルさというか、そういうあたりにイギリス気質みたいなものを感じる。

英検向けの読解の勉強の王道といえば以前はタイム誌だった。私も数年間タイムを定期購読していた。タイムの記事の良し悪しも判らないのに、タイムさえ読めるようになれば合格するものだと思っていた。でも、通っていた英語学校の恩師がタイムに見切りをつけたのは911事件の少しあとだった。泣く子も黙る世界のタイム、という感じだったけれど、恩師が言うには、あの事件以降のタイムは少し記事の内容が変わってきて面白くない、アメリカ至上主義が色濃く出すぎて記事に偏りが見られるようになり、世界各地のさまざまな話題を公平な観点から扱うことが少なくなってきたように思える、とのことだった。そのころから、恩師はタイムの記事を使わなくなり、代わりにエコノミストを重点的に扱うようになった。それまで私はエコノミストのことを経済記事ばかりの堅物雑誌かと思っていたのだが、実際には国際記事、政治経済、科学技術など、タイムとそれほど遜色ないバラエティに富んだ内容で、しかもなんといっても「イギリス気質」なのだ。これがすっかり気に入ってしまって、私も以降はエコノミストを使うようになった。

日本語で読んでもサッパリよく判らない(=というか興味のもてない)経済記事はやはり英語で読んでもサッパリどころかチンプンカンプン状態になるのであまり読みたくないのだが、エコノミストの科学技術記事は面白い。英語以前に、ナルホドこんなものがあるのか、とか、こんなことが出来るのか、という発見があるので新鮮なのだ。外国語の習得は、言語の勉強だけが目的だと少しも面白くない。その言語を使って知識の交換、情報伝達、コミュニケーションが取れなければ活きた言語にはならない。言葉の壁を感じることなくスラスラと読めて新しい知識を得て、ちょっとオトクな気分になれる(=知識の習得とは嬉しいものでありお得感があってしかるべきだ)、それがサイエンス系の記事だと思う。思想や理屈をこねくりまわさないので単語もそんなに難しくないし、文化の違いもほとんど影響がない。これを勉強に使わないテはないではないか。

同じようなことを考えて実践なさっている教育者もいるのだということを先日の某新聞記事で知った。高校の英語の授業でBBCの科学系の記事を使っているそうだ。すごいねぇ、この高校生たちは良い先生にめぐりあったよ。日ごろからBBCを読みなれていたらエコノミストだってそんなに壁は高くない。実際、私は今でも教材はBBCとエコノミストがメインなのだ(他にタイムやABCニュース、サイエンティフィック・アメリカンを使うけれど、イギリス記事のほうが面白いと思うので後者の比率は低め)。この高校生たちがさらに英語に興味を持って、もっと科学記事を読みたいとか、世界の最先端のニュースを英語で読みたいと思うようになったら、数年後には英検の合格率はバンと上がるだろう。いや英検に限らず、こういう子供たちが大人になったら、初めて、日本人の相対的な英語力が上がるのではないか、と思う。ちなみにこの高校、私の某友達の出身校である。当時あまり英語に興味がなかったという彼女だが、こういう授業を受けていたらきっと私より先に軽々と英検を突破してたかも知れないな。特に英語が好きなわけでも興味があるわけでもない一般の日本人の英語力が上がるというのはすごいことだ。科学英語をキッカケに英語教育が変わっていって、いずれ日本人が一億総バイリンガルになったら、私も商売上がったりになるのかなぁ?(・・・まぁ当分はそんなことはないだろうけれど)。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20060302us41.htm

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2006年3月22日 (水)

こわい夢

起きたときに覚えているかどうかは別として人は睡眠中に誰でも大抵いくつかの夢を見ているんだそうだが、私は夢の内容をかなり覚えているタイプ。なのでほぼ毎晩「夢を見た」という自覚があり、場合によっては一晩で2~3本分の夢を覚えている。ハチャメチャな夢も(=まぁ夢なので話に整合性があるわけがない)意味不明な夢も怖い夢もいろいろある。子供のころはいわゆる悪夢というような怖い夢を見て夜中に奇声を発したことが度々あるらしいが、本人は叫んでスッキリしているのか恐怖感自体はあまり持ち合わせておらず、単に「お話」として夢の内容を覚えているという感じだった。

先日、今までとはちょっと違う毛色の変わったこわい夢を見た。「怖い」とも「恐い」ともちょっと違う・・・。自分が殺されたりどこかから延々と落下したりという、ありがちな怖い夢は何度も見たことがあるが(殺される夢は吉兆だそうだが)、こういう夢は今まで見たことが無く、なんとも形容しがたいこわさを感じた。私は実家のマンションに居て、珍しく家族が揃って団欒していたとき、マンションがズズズと1メートルくらい動いたのだ。地震だ!と咄嗟に思い、災害時用の緊急避難袋の水や食べ物を確認して(=なんか妙に現実的ですが)、さてどうやって逃げようか、と思って窓から外を見たら、とにかくものすごい勢いで建物が動いている。まるでマンション自体が大型の自動車にでもなったかのように。しかも地震なら周囲も一緒に同じ方向に動いているはずなのに、隣のマンションは動いていない(私の実家はマンションが30棟以上ある文字通りの集合住宅地帯である)。見る見るうちに車間距離ならぬマンション距離が接近して、隣の棟にぶつかりそうになったときに、意思があるかのように私が居る棟は方向を変え、道路に沿って再びどんどん進みだした。接近したときに見えた隣のマンションは壁が崩壊しガラスが割れていた。そしてマンションは進行方向の車や公園や集会所などを踏みつぶし押しつぶして進み続けていた。

これでお終い。いったいどういう解釈をしたら良いんでしょうかね。私は意外と破壊願望があるんだろうか?と思ってしまった。自分が壊れるわけではないので破滅願望ではなく、自分が何かを壊す側に居るみたいなので。なんだか生きとし生けるものすべてを壊そうとしているような勢いだったので、ちょっとこわくなった。目が覚めてから、大きな地震が来るという虫の知らせかなぁとも思ったけれど、私には予知夢の才能はない。まぁとりあえず身辺に気をつけよう。でも自然災害の場合には何をどう気をつければよいんだ?

その翌日これまたヘンな夢を見た。昔惚れていた男性と再会している夢だったのだが、ダーリンに振られて今独りなの♪と言ったら、じゃあオレと付き合わないか?と言われた、という夢であった。ありえない!別の意味で怖すぎ!やっぱり私には予知夢の才能ゼロだ、地震の心配なんか要らないや、と改めて思った次第(笑)。

今日放映されたドラマを後で観ようと思ってビデオに録っておいた。大竹し○ぶなのだ、泣けないハズがない。このストーリーを本屋で立ち読みしたときはボロボロ泣いた(私は本屋でも映画館でもお構いナシに泣けるタイプ)。あとでゆっくりドラマを鑑賞して泣きむせぶとしよう。癌は家族の誰の身に起こってもつらく悲しいものだけれど、それが若い世代に起きたときのやりきれなさは一番大きいと思う。そういえば今朝のがんサポートキャンペーンは録画しそびれた・・・。今日がシリーズ最終ということだったのに。うー残念。しかし最近ちっとも勉強してないな、大丈夫かワタシ。

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2006年3月21日 (火)

散歩日和

今日は本当に良いお天気だった。少し風はあったけれど、ポカポカした日差しがまさに穏やかな春の一日という感じで。絶好のお散歩日和であった。洗濯日和でもありお掃除日和でもあったと思うが、どうもマルチタスクが実行できない私は、散歩する!と決めたら散歩以外のことにはエネルギーが向かないのであった。

実は先日チャリンコを買ってしまったのだ。今の仕事は残業もまったくない(つい先日、会社で終業時刻を10分ほど過ぎてまだパソコンの前に居たら、4~5人の社員さんに心配そうに声を掛けられ、無理せず帰っていいよ、と言われてしまった・・・。私は友人との待ち合わせ時間までまだ少しあったので30分くらい居残っていようかと思っていただけなのに。というわけで残業はさせてもらえそうにない)し、以前よりも時間的余裕があるので、少し体力増強に努めよう!と思ったのである。この間見つけた新発見のスーパーマーケットにもちょくちょく遊びに行きたいし。あれ、歩いたほうがもっと体力増強になるのか? でもまぁグータラな私は歩けと言われてもあんまりマジメに歩きそうにないし、チャリンコなら気軽に多少の遠出もできる。

で、さっそく本日2時間ばかりグルグルうろうろチャリンコでお散歩。隣駅まで行ってみようかと思ったけれど線路沿いには道がなく、しかも大きく蛇行した坂道(下り)が目の前に広がったので、「帰りはこれを登ってこなきゃならない・・・」と思って断念(笑)。それに線路沿いではない道をずんずん進むと迷子になりかねない。私は自慢じゃないが方向音痴なのだ。それにしてもチャリンコでまっすぐ走るというのは結構難しいものなのだなぁ。自転車に乗ったのは多分20年ぶりくらい。実家で二度立て続けに買ったばかりの自転車を盗まれて以来、実家では自転車を所有するのをやめてしまい、私もそれ以来ご無沙汰だったのだ。水泳と自転車は一度覚えたら一生忘れない、と言われるけれど、確かに体が覚えているので乗れはしましたけどね、まっすぐに走らせるのが結構難しくて、ヨッパライ運転か?と思われそうだ。後ろから車が来たら轢かれちゃうよコレは、という状態なので、ゆっくり慎重にチャリチャリする私。まぁ何回か乗れば少しは上手にまっすぐ走れるようになるだろう。お散歩から帰宅した後は少し課題をやって、あちこちのスーパーで(スーパーめぐりしかすることが無いのか私は)ドッサリ買い込んだ食材でちょっとお料理なんかもした。チャリンコ散歩にお料理、おお、なんと健康的な休日だ。今夜はいつにもましてよく眠れそうである(笑)。

話は変わって。現役薬剤師さんでこの分野の翻訳を目指していらっしゃるNさんという方のブログをよく拝見している。彼女の書く内容はシンプルで適度に脱力系。いわゆる世間の話題とはちょっとズレ気味なところも私のツボにハマって楽しく読んでいる。パラリンピックが始まったのを知ってトリノが終わっていたことを初めて知ったなどと書かれていると、プププと思ったりするのだが、今日は私自身がNさん顔負けの思い込みをしていたことを知った。五輪で活躍したチ○ム青森の某選手がご結婚するというニュースを今日見て、へぇ~まだ若いのに、と思いつつ詳細を見たら、、、えっ、この選手、27歳だったの!? なぜか私はチ○ム青森というのを勝手に青森高校のことだと思い込み、選手は全員高校生だとばかり思っていたのである! イマドキの高校生にしては大人っぽいなぁなどと大ボケなことを考えていて、このニュースにも一瞬、あら学生結婚なの?とまで思ったのだ。あちゃー全然違った。なんで勝手に高校生だと思っていたのだろう。やっぱりチームのネーミングの所為だろうか。いやはや思い込みってオソロシイ。

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仕込み中

今週末の翻訳学校の課題提出日が近づいてきた。春だからということではないが、今回から先生のご提案で提出方法が代わり、今までのようにドタバタと当日に慌てて・・・というフライング方式は許されなくなった(=今までだって許されてないんだけど、勝手に許している自分である)。それにしても熱心に教えてくださる先生に本当に感謝。私はつくづく良い師に恵まれている。締め切りを落とさないように頑張ろう・・・。

さて仕込みである。翻訳ではなく音楽の(笑)。もうじき月例カラオケ会なのだ。これはこれで私にとっては重要な時間なのだ、例え他のことでどんなに忙しくても、逆にそういう日常の忙しさを乗り切るパワーを生み出すために必要な儀式なのである(=って大げさか?)。仕込み曲は季節感をメインにいろいろ選び、割とジャンルは問わず手当り次第になんでも歌う。これがまた気持ちよいんですね、ハイ。

しかし、先ほど某仕込み曲の歌詞を検索していたらすごいページに当たってしまった。桜舞う下での別れ話、みたいなしっとりした雰囲気の歌なので、いや~今回の私の仕込み曲にはピッタリじゃないか(笑)、こりゃ気合を入れて仕込んでおかなければ、と思ってネットで歌詞を検索したわけですが・・・。いや何だかよく判らないんですがね、どうやら恋人に振られたと思しき女性が、別れた彼への想いを延々と綴っているブログの中にその歌詞が引用されていて、ひょえー!と思ってしまった。こんなもんをブログにしてどないすんねん。歌詞をコピーさせていただいて早々にそのページは閉じたので隅々まで読んだわけではないが、どうもザっと見た限り、失恋系の歌をあれこれ並べながら別れたカレシへの気持ちを綴り、いつかきっとまた逢えると自分に言い聞かせながら日々を生きているような雰囲気で、最後の日付には、もう決して想いは叶わないという現実をようやく受け入れることが出来たのでこのブログを閉じる、と書かれていた(ちなみに私が歌詞を拝見させていただいたのは、ブログを閉じる数日前の日付だったので最後の日付のカキコミも一緒に読めてしまったわけである)。なんだかなぁ。別に好きなら一生好きなままでよいじゃん。誰にも止めろと言われるわけじゃなし。私なんかずっと好きだぞ(と力説)。人の気持ちを他人が忖度できるものではないのだし、想いは自由だしなんのコストもかからんぞ。想い料とか、片思い罰金とか掛かるわけじゃなし(笑)。大体、「叶わない」と人を愛することは出来ないのか? 好きになってくれなければ好きでいることを止めるのか? 私にはよーわからん。一人で勝手に好きで居続けて幸せではないのか? 人を好きになるということはそれだけでものすごく幸運でものすごく幸せなことで、その上、好きになった人から想ってもらえるというのは奇跡的なオマケというか、ものすごく欲張りなことであって、頑張れば手に入るというものでもないし、当然のことのように要求すべきものでもない。これだけ好きなんだから同じ分量の「好き」を返してくれ、と要求できるものではない。まぁ恋人に振られて「元の鞘に収まる日を夢見て、そのことを生きがいに日々を過ごした」と思われるこの女性を別に否定する気は無いが、元の鞘に収まること以外の幸せはないのかねぇ、と思った。そこまで好きになれる人に巡り合えただけで幸せでしょうに。と自己完結の激しい私はしみじみそう思いながらせっせと失恋ソングを仕込み中。

別の歌の歌詞検索をしていたときのこと。「雨期を過ぎた あの日のさようなら」。えっ? そう歌っているように聴こえないんですけど。歌詞を無視してよーく聴きなおしたら「不器用すぎたあの日のさようなら」・・・ネット情報を鵜呑みしてはいけないという良い例である、ちゃんちゃん。

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2006年3月19日 (日)

睡眠不足

翻訳に従事なさっている諸先輩方のお話を伺っていて本当にスゴイと思うことの一つに、修羅場の最中で、疲労と睡眠不足でコレ以上は翻訳できないという状況になったとき、「1時間仮眠して再び作業に入る」だの「1時間半ほど横になってから再度翻訳に取り組む」だのというお話をよく聞くことである(聞くといってもネットで見ているのですが)。いったいどうやって1時間後におきられるワケっ!?と私には絶対に不可能なことをなさっている先輩方を心底スゴイと思ってしまう。私は俗に言う「寝汚い」人間で、いったん横になって寝たが最後、踏まれても蹴られても何があっても起きない。えーとどういうワケか比較的地震には敏感で、地震のときにはフっと目が覚めるけど、収まれば再びグースーピーと寝てしまうのである。寝れば世の中の憂さがすべて晴れる極楽トンボタイプ。悩みも心配事も不安も寝てしまえば雲の彼方、いや、夢の向こう。眠ってしまえばどうでも良くなってしまい、目が覚めた後に大慌てする事態が待っているとしても、別に命までとられるわけじゃなし、どーにかなるでしょ、、、などと思ってしまうテキトー&いい加減さ。眠くて思考回路が停止した頭で向かえる修羅場より、どうせ修羅場なら、スッキリ寝た後の頭で対処したほうが良いわよ、などと思ったりしているのである。故にどう頑張っても心配事は持続せず、うつ病には絶対にご縁が無い。一昔前は「悩み事なさそうだよねぇ」などと言われると、失礼なっ、私にだって悩み事くらいありますっ!と内心思ったりしたものだが、そのころは愚かにも「悩んでいる=高尚な人間である」などと思っていた。まぁ否定はしないが、悩みが無いから高尚ではないと言われたとしても別に構わんではないか、だって寝ても晴れない悩みなんか無いんだもん、はははは。

というわけで寝ることに貪欲な私にはあまり睡眠不足というモノは当てはまらない。変な時間帯に起きていて、おかしな時間帯に寝ていることはあるけれど、基本的に活動している時間数と寝ている時間数はバランスが取れているのだと思う。このバランスを欠くほどに翻訳作業に集中し、体が要求する最低限の睡眠時間だけを取って再び翻訳作業に戻る。。。という、プロの中のプロ!と思える行動を私が取れる日は果たしてくるのだろうか、と大いに悩む。おお、この悩みは寝ても晴れない本当の悩みだね、こりゃ。私の場合、寝てしまったらすべて後の祭り、1時間後に起きるなどという魔法のようなことはできないので、逆に起きている間にすべてやるしかない。終わらなければ終わるまで起きているしかないし、今まではそれでどうにかなっている。今後もそれでどうにかなるのかは判らないが・・・。睡眠時間を削って対応しなければ終わらないほど翻訳の注文が殺到♪などという未来の夢はとりあえず置いといて、起きている間にこなせる翻訳量をアップできるように今は日々精進してその日に備えることにしよう。(そんな日が来るのか?)

今日はものすごい風だった。お風呂場に土の匂いがするくらい土埃が舞っていたようだ(お風呂場の小窓を開けていたので)。北風は冷たかったけれど、気温は確実に春のそれになっている。春眠暁を覚えず。ますますたっぷり寝られる季節だ。いい加減、「いくらでも寝られる」という年齢でもなくなってきているハズなのに。普通は歳をとれば睡眠時間は少なくなっていくと言うのだけれどねぇ。この点は母親譲りなのかもしれない。母も、いまだにいくらでも寝られる人。若いころスポーツ万能だったという母の運動神経も、将来は科学者になりたかったという父の理系能力もまったく受け継がず、しもやけだの寝汚さだの変なところばかり受け継いでいる。でもお気楽ノーテンキさは私が一番かもしれない。心に憂いなく寝られるというのは幸せなことである。

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2006年3月18日 (土)

沈丁花香

夏と冬は徐々にやってくるような気がするけれど、春と秋は、私にとってはハッキリと「今日から春!」とか「今日から秋!」という区切りみたいなものがある。そういえば春分とか秋分はあるけれど、夏分とか冬分はないもんね。ということは、やっぱり私だけではなく、みんな、春と秋はキッパリどこかに区切りがあって、逆に夏と冬はいつの間にか忍び寄ってくる(ってヘンな言い方ですが)もので、ある日気が付いたら夏になっていたとか冬になっていた、という感じなのだろうな(だから夏至と冬至という言葉になるのだろう。気が付いたら夏が来ていました、と言う感じだろうか)。

で、私にとっての春の到来は沈丁花の香り、秋の到来は金木犀の香りである。先日、自宅近所でどこからともなくフワっと沈丁花の香りが漂ってきた。春が来た! 桜の開花は目で春を楽しむものだけれど、その前に全身で春を感じさせてくれるものが沈丁花だ。こうなると、引きこもり、コタツこもりの私もさすがに「一歩外へ」モードになる。お洗濯三昧、お掃除三昧をして(でも少しも片付かないが)、コートや真冬用の衣類も少しずつ仕舞い始める。出不精でグータラな私も、ちょっと外を歩いてみたくなったりする。いいことだ、歩け歩け自分。というワケで駅を背に(=自分のアパートも背にして)今まで歩いたことの無い道をズンズン歩いてみたら、今まで知らなかったスーパーマーケット発見。わーい、ちょっとうれしい。駅前に大型店があるので普段は来ることはないだろうけれど、目先の変わったものが置いてありそうなので、ときどきお散歩がてら立ち寄ってみるのも良いかも。春先の新発見。

久しぶりに「締め切りつき」」の翻訳が手元から無くなった。トライアルもお仕事もゼロになったし、たまたま昨日飛込みで依頼されたボランティア翻訳の短い文書もサクっと仕上げてしまった。というわけで今月末の翻訳学校の授業課題の仕込みをする。いつもはギリギリ(2~3日前とか)になって取り掛かるのに、こんなに早くから準備をするなんてなんだか不思議な気持ち。お尻に火が付かないと馬力の出ない私としては、ゆるゆる~っとした気持ちでノンビリと仕込みに掛かる。でも本当はこういうときにじっくり読んでじっくり調べるから勉強になるんだよね。今回は仕事でも課題でも今までまったくやったことのない歯科領域。こんな機会でもなければ避けて通っているだろうと思われる食わず嫌い的な苦手分野。じっくり読ませていただいて克服する気マンマンの私である。

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2006年3月15日 (水)

料金交渉

お仕事のご相談、というメールが来た。まぁっ、何かしら!♪とわくわくドキドキでメールを開く。そしたら何のことは無い、トライアルを受けないかというメールだった。でもなんだかキナ臭い。提出期限が非常にタイトであること、こちらが受けるとも何とも言っていないのにすでにトライアル対象文書がメールに添付されて一緒に送信されていること。アヤシイぞと思いながら添付文書を見たら、これはもう、どうみても実際の仕事案件に間違いない、と思われる文書だった。そういえばフと合点がいった。この翻訳会社に登録していたっけ?と一瞬疑問に思ったのだけれど、そうだ、確か年末に超長文のトライアルをやったところだ。結果の連絡が無いので年明けにこちらから問い合わせたところ、合格しているが二次トライアルがあるのでそれも受けて欲しい、と言われて、さすがにアヤシイぞ、と思い、タイミング的にもちょうど今の会社でのオンサイトの仕事が決まったので二次トライアルは受けなかった会社だ。あのときのトライアルが実際の仕事案件だったかどうかなどはもうどうでも良いのだが、味を占めてまた同じことを、と思われても困る。いくらこっちが末端の、しかも半人前の(=本人としてはそろそろ0.7人前くらいになってきているのではないかと思っているけれど)たかがイチ翻訳者であっても、こういうことをされるとなぁ。大いに納得がいかん。私はいつも「マイペース」と言っているけれど、こういうときに足元を見られたまま仕事が欲しいあまりに焦って飛びつくようなことをしたくないのである。納得のいかないものを引き受けたくはない。というわけで、実際の仕事案件を無償で引き受けるようなことは出来ないと書いてトライアルを辞退する旨メールを返信した。

すぐに返事が来た。拍子抜けすることに、それでは有償トライアルにする、レートは××円、納期は先ほどの指定通り、と書いてあった。あらら、なんだか呆気ない。こんなもんなんですかね世の中。あまりにもすぐに返事が来たので、これはもしや、納期も差し迫っているし、とりあえずこちらが言ってることに調子を合わせておいて、納品後にバックレる魂胆では、などと、かなり穿った見方をしてしまう疑心暗鬼の私だったりするが(笑)、まぁそうなったらそのときに考えればいいや。とりあえず一旦は支払いしてくれると言っているのである。つまり、おお、ちゃんとした受注になったではないか。わーいわーい(=単純ボケな私)。でも「それなら有償トライアルに」・・・ってなんだかなぁ。要するに、やっぱり最初は実際の仕事案件をタダで引き受けさせようとしたってことだよねぇ。そういう会社はきっと山ほどあって、きっと多くの翻訳者さん(または翻訳志望者さん)が苦い思いをしているんだろうなぁと思う。世知辛い世の中だなぁ。

私はまだまだ0.7人前だし、本音を言うと「対価をくれ」と要求できるだけのシロモノを仕上げられるかどうか、実は今ひとつ怪しかったりもするのだが、やっぱり納得のいかないものは納得いかないのだ。今回の文書は日英翻訳で、白状するとまだ私は日英のトライアルで合格したことが無い。今まで合格したのはすべて英日なのである。まぁ日英トライアルに挑戦したこと自体、2回しかないのだが。もちろんオンサイトでは日英も英日も両方やっているが、オンサイトゆえに、上司や常駐のネイティブなどが英文を見たり直したりしてくれている。こんな状況下で、日英を受注するにあたって翻訳料金について言及してしまうワタシって我ながら大胆、と思ってしまった、ははは。有償トライアルを引き受けたのは良いけれど、出来が悪くて話にならない!って突っ返されたりする可能性も無いわけじゃないものね。まぁそんなことにならないようにがんばりますが。何も言わずに最初のメールで引き受けていたら、きっとこの先も何か仕事が発生するたびに最初の一件は無償トライアルとか言われて打診されるのかなぁと思うと、やっぱり思い切ってレートについて訊いてみて良かった。トライアルの打診があったら、とにかく疑って掛かれとか、とりあえず有償トライアルにならないか訊いてみろとか、そういうことをオススメしているわけではない。別にお金儲けがどうこういう問題ではなく、自分が納得いくかいかないかという話なのだ。最初のメールの返事を出した時点で、「それじゃ仕方ないですね、別の翻訳者にあたってみます」という返事が来たとしたって、それならそれで私は納得したのだ。アヤフヤな気持ちで仕事をしたくない。仕事をするからには自分の翻訳に自信と責任を持ちたいし(=自信はまだ少々アヤシイが)、対価があるのは当然だと思う。そのためにレートを確認するのも当たり前だと思っている。・・・と理想だけは高い半人前(=0.7人前!)の私であった。さてブツクサ言わずにやらないと納期がタイトだ~。

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2006年3月14日 (火)

自分勝手

さっきヒョイと今日の占いを見たら「もしかして落ち込んでる? でも大丈夫うんぬん~」といきなり書かれていてちょっとびっくりした。何が「でも大丈夫」なのかサッパリ判らないが。そうなんだよねぇ~、なんかちょっと気落ちしている。ユウウツというかヤル気が無いというか。別に何があったというわけでもないのだが。何も無かったわけでもないですけどね。

自分勝手な人に勝手な文句を言われてムカムカしているのである。何もしないくせにイチイチ文句だけつける人というのは何処にでも居るし、相手にする気も無いので気に病んでいるワケではない。単に腹立たしいだけである。文句言うんだったらテメーがやってみろ!と言いたくもなるが、でも言わない。言ったって、どうせアレコレ言い訳だけして結局は何もやらないのが判っているし、中途半端にやられてこっちが尻拭いするのもメンドクサイ。こういう、ちょっとでも負の感情を抱えている時は、何とも言いようの無い虚しさを感じてしまうのだ。だからユウウツというかヤル気がなくなるというか。

あーしかし腹が立つなぁ。そのせいか、今日は無性にお腹が空くのだ、困ったものだ(笑)。食べても食べてもお腹が空くぞ。おかしいなぁ、ダーリンに振られたことをキッカケにイイ女を目指してダイエットすると決心したのに。と言っても、私の口からダイエットなどというセリフを聞くのは何百回目か判らない・・・という友達が何人も居そうだな。いや、今度は本気だ!、、、というセリフも何回も言ったよなぁ。。。でもでも、ほら、やっぱり巷では、振られたらキレイなイイ女になって相手を見返さなきゃいけないことになってるし(笑)。こんな機会でもないと私は真剣にダイエットしようなんて思わないし。それなのに何で今日はこんなに食べちゃってるんだろうなー。あら、そういえばホワイトディではないですか。一ヶ月前はわざわざ銀座までチョコレート買いに行ったのに。一ヶ月経ったら振られててホワイトディのお返しもないですわ。でもホワイトディって心惹かれるお菓子はあまり売ってないよね。やっぱりメインイベントはバレンタインだよなぁ。あれは楽しい、うん。そう考えると私は別にダーリンのためにバレンタインしてるわけではなく、自分のために勝手にバレンタインを楽しんでいただけか。まっ、いっか、充分に楽しんだのだし。今日はコンビニで売れ残りのホワイトディのお菓子を買うのは絶対にやめよう。ダイエットするんだから!(=すみません、バレンタインのときは売れ残りで半額になったチョコレートを喜んで買っていた私・・・)。

翻訳のほうは予定通り日曜日の夜に日英トライアルを無事に提出し、ボランティアのパンフレット翻訳(リレー・フォー・ライフ)もサクサクっと月曜日に仕上げた。いつも硬い文章ばかりなので、こういうパンフレットの翻訳って新鮮で楽しかった! キャッチコピーみたいな文章を考えたり、耳馴染みの良い表現にしたり。もちろん文芸翻訳や映像翻訳をやりたいなどとは全然思わないけれど、たまにはこういう、ちょっと毛色の変わった種類のものを訳すのって意外と楽しいものだな、と思った。

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2006年3月12日 (日)

誉め言葉

私がお手伝いしているボランティア翻訳のサイトでは、翻訳文書は三段階のステップを踏んで処理されている。(1)翻訳(ボランティア翻訳スタッフ)→(2)校正(今のところ管理人さんか私?)→(3)監修(ボランティア協力してくださっている現役医師の先生)。ボランティアでこれだけきちんと仕上げているところもなかなか無いと思う。管理人さんのご尽力の賜物だと思うし、本当に頭が下がる。私もできるだけお手伝いしたいと思いつつ、、、まぁ所詮は出来る範囲内でしか出来ないんですが。

先日あれこれ苦心したボランティア翻訳の校正作業。監修の先生のところから訳稿が戻ってきた。これがナント、一切直しナシ!の快挙であった。監修を担当して下さった先生のコメントで、自分が監修した分としては手直しナシというのは初めてです、すばらしい、とのこと(ちなみに監修してくださる先生は3~4人いらっしゃる。ついでに言うと、サイトが発足して以来、1年半ほど経つと思う)。管理人さん経由でこのコメントを聞いて、またまた単純に舞い上がる私。相当に気を張って推敲したのだろうということが判る、原文を再現しつつ判りやすい日本語になっていることに感銘を受けた、とまで言ってくださった! すっごく嬉しい。 

以前から、翻訳会社が校正者やチェッカーを募集しているのを見かけるたびに不思議に思っていたことがある。校正者やチェッカーは(言葉は悪いが)翻訳者より格下のような扱いで、英語力も「英検2級くらい」などとなっていて、翻訳者を目指す人にとって日常的にプロの翻訳を目の当たりにすることで勉強になります、みたいな謳い文句があったりして。でも校正とかチェックとかってそういうものじゃないと思う。翻訳エージェントが考えている校正やチェックというのは、おそらく、翻訳者を最大限に信頼していて、翻訳の質自体には問題ないということが前提なのだろう。校正やチェックは、訳抜け、数字の打ち間違い、中学生レベルの文法(時制とか三単現のSとか)くらいしか確認しないのではないか? 訳文に踏み込むようなチェックなどするはずもないし、する実力もないというのが本当のところなのだと思う。でも今回、私自身が何件か校正をしたことで、校正の難しさ、校正の大事さというものを初めて学んだ気がする。私に特別に実力があるということではなく、単にボランティア翻訳スタッフの翻訳力にバラツキがあるから、校正でかなり踏み込んだ訳し直しのようなことも必要になったわけだが(実際、実力があって翻訳が上手なボランティアスタッフの訳文は校正プロセス無しで監修の先生のところに回されている)、プロの翻訳者になるなら、ここまで自分一人で出来なければならないのだということも実感した。訳すときは原文に最大限忠実に、そして校正するときには原文から少し離れた視点で、出来る限り自然な読みやすい日本語に。この、一見相反する作業を自分一人でしなければならない。今までの私の翻訳作業では、私は自分の訳文を「校正」しているつもりで、それは単に読み直しに過ぎなかったのだとようやく気がついた次第。もう一歩踏み込んだ、本当の意味での校正ということを勉強させていただいた。

ところで私の訳文に対するコメントだが、今回監修してくださった先生も、以前に偶然に発見した、やはり監修をしてくださった別の先生のコメントにも、どちらも言及されていたのが、「非常に読みやすく判りやすい日本語」ということだった。これは私が目標にしていることなので嬉しいのだが、同時に、商業ベースでは嫌われる可能性もあることを常に心がけておかなければなぁと思う。医学翻訳って、難解で判りづらいほうが高尚と思われているフシがあるからねぇ。ボランティア翻訳みたいに、患者さん(=一般の方々)向けの文章であれば、出来るだけ平易で判りやすい言葉が良いと思うけれど、これが治験薬概要書や副作用報告書だったら、漢語まがいの専門用語満載、日本語になってても日本語のイミがわかりません~みたいな翻訳のほうがエージェントさんの好みだったりするわけで。これから仕事でやって行くのであれば(=やっていくつもりですが)、そのへんのバランスのとり方も課題になるのだろうな。私は、バックグラウンドのない「自分」にとって判りやすい翻訳文にしたいと思っているんだけど、専門家が読んだら、そこまで噛み砕かなくてもヨロシイ、と思うだろう。いや、単に私が漢語まがいの専門用語に慣れていないだけなのか?

でもウレシイなっと♪ 仕事してて誉められることなんてなかなか無い。上手に出来て当たり前、上手に出来るからプロであり対価をいただけるのだ。職場では成果物の質に対して注文がつくことはあっても誉められることはない。デキが悪ければ、オンサイトなら首になり、フリーランスなら次の仕事は来ない。そりゃまぁ、ボランティアとしては上出来という意味で誉めていただけただけかもしれない。それでもやはり誉められると嬉しい。

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2006年3月11日 (土)

タダで?

先日の国営放送の連続テレビ小説で。大阪でバリバリのキャリアウーマンだった女性が、田舎の人々や美味しい空気や新鮮な野菜に惹かれて、主人公の女性の住む某田舎町にやってきて農業に従事する。主人公はその町の観光事務所に勤めていて、外国人向けの観光パンフレットを作ろうとしている。で、元バリバリの国際派だった友人にパンフレットの翻訳を頼む。急いでいるだろうから徹夜で仕上げたと言ってバサっと主人公に渡された原稿を見て、うそだー、こんなに量があるのに一晩でできるのかよ、と思った私。それにいくら英語とフランス語がバリバリだからって、しばらく外国語を使ってなかったハズで、そもそも今は田舎で農作業してるのに辞書やパソコンはそろってんのかぁ?と余計な突っ込みを入れたくなった。さらにその後、原稿を受け取った主人公の言ったせりふにブっ飛んだ。うわぁ、ありがとうございますー、お礼は必ずしますからっ。

へっ??? アンタこれ仕事でしょう? アンタのところで仕事として依頼したんじゃないのかっ。友達のツテでタダでやってもらおうって魂胆かい?! これだからなー。天下の国営放送でこんな状態である。翻訳はちょっと外国語が出来る人に頼んでタダでやってもらうもの。・・・ってジョーダンじゃありませんよ。仕事で作るパンフレットならちゃんと予算に計上して翻訳費くらい捻出しなさい! そもそも日本語でパンフレット作ったって外国人向けにならないことくらい判りきったことであって、原稿を日本語で作る以上、当然どこかで翻訳しなければならないわけで、その翻訳費用を「お礼はしますからー」で誤魔化すなっ。日本人の外国語に対する感覚って、まだまだこんな感じなんだろうなぁ。はぅー。そういえば、かなり前だけど、確か藤○紀香が出ていた夜のドラマ(やっぱり国営放送なんですが。私はテレビはほとんどこれしか見ないんだよな。民放ごめんなさいませ)、彼女が通訳会社に勤めるバリバリの通訳とうい設定だったことがあるんだが、あの時も、「???」の状況がテンコモリだった。ということは、他にも専門職をドラマで扱っている場合、あまり信憑性はないってことですかねぇ。

今日は久しぶりに家の中のことをアレコレやった。洗濯も5回くらいしてしまった。しかし片付けても片付けても一向に片付かないのである。まぁ普段何もしていないんだから仕方ないか。パソコン部屋(=主たる生活の場)の電気が瞬きするようになったので電球を買いに出掛けたりもした。在宅で仕事をするようになったらこういうのも経費になるのだろうな。なんだか憧れるなぁ、そういうの。自分の手で仕事しています、という感じがする。早くそうなりたーい、と思いながら、やっぱりマイペースでしか進めない私。一歩ずつ前進しているのだと信じよう。

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2006年3月10日 (金)

ラッシュ

まず最初に。丸24時間以上ニフティの障害のためブログの更新およびコメント等の機能が一切使用できなかったようです。まだトラブルが続いてるようですが、とりあえずログインできたので更新。

やっぱり朝のラッシュはすさまじい。先日ちょっと学習したので、今朝は人の波に対して垂直に位置して攻防する。横から押されても大丈夫、うん、今日はオッケーだ。でもそこまでで精一杯で相変わらずボケーっと立っていたら思い切り足の甲を蹴られた。今日は雨模様だからブーツにしようかと思ったのだが、なぜか普通の靴を履いて来てしまったため、甲部分は無防備だった。アザになるな、こりゃ。かなり痛かったのだが、何しろ体がまだ覚醒していないので反応できない。痛いー!とか叫べないのである(体が寝てるので発声練習が要りますな)。内心、痛いよーと思いながらボケーっと電車を乗り換えたら、今度は、混んだ電車から無理やり降りようとするヤカラが周囲にタックルしているのをモロに受ける。てめー獣じゃないんだから「降ります、通してください」くらい言えないのかーっ!と心の中で悪態をつつくが、やはり体が覚醒してないので(っていつまで寝てる気だよ私は)、傍から見ると非常にドンくさい緩慢な動きしかできない。あのオジサンも覚醒してなくて発話ができなかったのかしらん? しかしトーキョーの通勤ラッシュ、すごすぎ。今までも宮仕えしていたわけだが、時間帯的に今回はモロに正統派通勤ラッシュ時間なのである。しんど~。

職場に来てやっと覚醒。半覚醒といったほうが正しいかも? 足を見たら、あーあ、擦り切れてるよ。それにしても先日の櫛もそうだったけど、ワタシの体をすり抜けて衝撃が櫛に来て割れるというのはスゴイよなぁ。今回も、蹴られた甲の皮膚が擦り切れているのに、ストッキングは破れていないのだ。私の体はストッキング並みに丈夫ということか?

トライアルは提出したけど次の締め切りの仕事が乗らなーーーーーい。と言ってもあまり時間もないので乗らない気分を押さえつけてやるしかないのだが。メールボックスに元ダーリンからのメールが全然入って来ないのがちょっと淋しい(って当たり前か)。毎日バカみたいに、「おはよう」だの「お腹すいた」だの「お昼なに食べた?」だのという、典型的なバカップルの他愛ないやりとりが行き交っていたものがパタっと止まるとつまんないわねぇ。まぁ天岩戸に入っている人に何を言ったって聞こえやしないのだ。しゃーない。いつもなら、仕事が乗らないよー、と元ダーリンにメールするところだけど、ここに書いたから良しとして(笑、何がだ?)再びお仕事に向かうとしよう。しかし乗らない、困ったもんだ。

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2006年3月 9日 (木)

真っ二つ

朝の通勤電車は殺人的でコワイ。みんな殺気立っている。人間性をそがれると言うか気持ちがすさむと言うか。朝からこんな思いをしたくないよなぁと思いつつ、ニッポンのサラリーマン、OLの皆さん、お疲れ様です・・・と心の中でつぶやく私である。つーか私も「みなさん」の中の1人であるが。

先日の混み具合もすごかった。例によってボーっとしていた私(朝が弱い私はなかなか覚醒しないのでいつもボーっとしておりまする)、とある急行停車駅でものすごい勢いでうねりのように人々が電車の中になだれこんできたとき、折悪しく人の流れに平行に(締まっている)ドアの前に立っていた。ひらたく言えば反対側のドアが開いて、怒涛のように流入してくる人々の流れをまともに食らって、私は平行にドアに押し付けられた形であった。人間の体は側面からの圧迫には強いけれど、前後の圧迫には弱く出来ている(ので、矯正下着はこの原理を利用して、いわゆるサイドサポート設計ってヤツですが体の側面に強い圧を掛けて、前後には圧をかけないのだそうだ、と、なぜここで下着談義になるのでしょう?)。まともに前後の圧迫を食らった私、うげ、と思わず声が出る。押すなー、と思ってもみんな殺気だってるんだからどうにもならん。

で、ドアに叩きつけられるように押しつぶされた私(=つぶれてはおりません)が肩に掛けていたカバンは、さらに私とドアの間で水平にペチャンコになる。カバンの中で何か変な音が聞こえた気がしたけど、でも別に割れるようなものとかつぶれるような物とか持ってきてないよな、今日は、うん。大丈夫だろう、と勝手に思って気にも留めなかった。ときどきカバンの中にオヤツのおせんべいとか入れてたりするので(笑)、そういうのを持ってる日だったら大いに気になるのだが。そういえば埼京線の混み具合はもっと殺人的で、長い傘が折れるとか言うもんなぁ~、やーよねぇ、朝から疲れちゃうよねぇ、などとボーっと思いながら会社に行く。

昼休みにカバンの中を見て、オオっ!と思ってしまった。私がとてもお気に入りで10年以上使っている愛用品がこんなことになっていた。

TS320009 

あらあらまぁまぁ。何か壊れたり失くしたり落としたりしたときには、厄を持って行ってくれたのだと思うことにしている。「ことにしている」わけではなくて、自然とそういうふうに思ってしまうのだけど。さて今回はねぇ。何の厄でしょうねぇ。でもこれ、とても気に入っていたのにな。こんなにきれいに真っ二つになるような力が掛かっていたというのはすごいねぇ。内臓に支障が無かっただけメッケものかしら。結石破砕みたいなもんか?(笑) しかしこれは、なんか深い意味があるのかしらん。つい先日、あんな話を書いたばかりですごい偶然なのだが、ダーリンに春のフラフラ病が勃発。別れ話を切り出された。というか切り出されただけじゃなくて結果として別れたのであるが。春だしねぇ、ウツだしねぇ、まともに取り合っても仕方ないので、ほーそうですか、そんじゃ、そーゆーことで、と言うしかない私。まぁ慣れちゃったというのもあるけど。いったい何度目やねん。ダーリン、もとい、元ダーリン(笑)との付き合いも余裕で10年以上になるが、それ以上に長い付き合いの櫛が真っ二つになったのを見て、お前はダーリンの愛情を持って行ったのかい?と思ってみたりする、ちょっとオトメチック気分の本日の私。などと言っているヒマはないので目の前のトライアルをやろうっと。本日締め切り~。フラフラ病についてはまた後日に書こうと思います。

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2006年3月 8日 (水)

車の両輪

一昔前、日本語教師の資格試験がちょっとしたブームになったとき、日本人なら日本語が話せるのだから日本語教師なんて簡単に出来るだろうと思った人も多いのではないかと思う。大した勉強なんかしなくても、日本語が話せれば問題ないだろう、と。でも、日本語が出来ることと日本語を上手に教えることとは別の技術だ。スポーツ選手でも、一流のプレイヤーが一流の監督とは限らないとか、試験で満点を取れる人が教え方が上手なわけではないとか。通訳や翻訳もそれと同じ。外国語や日本語が普通に出来るんだから「通訳(翻訳)くらい」カンタンでしょう、と思う人もいまだに世の中には多いみたいだ。とんでもないよなーと思う。そんなに簡単にできるならとっくの昔に自動通訳機とか機械翻訳が全部サクサクできるようになっていて、世の中にはニンゲンの通訳者も翻訳者も要らなくなってしまうだろう。でもそんな時代はまだまだ当分は来そうに無い。そんなカンタンなものじゃないし、だからこそ、遣り甲斐もあって面白いのだ。

専門知識(私が目指す分野で言えば医学知識)と翻訳力(外国語力と日本語力)は両輪なのでどちらも鍛えていかなければならない。教科書や参考書やネットを駆使すれば、それっぽい専門知識は、なんとか後付けでも身につけられるようになるんじゃないかと最近思っている。実は本当に難しいのは翻訳力のほうだろうと思うのだ。これってセンスの問題というか、目に見えては実力がつくものではないし、元々そういうセンスを持っている人にとっては、他人に教えようにもどうやって教えてよいのか判らないだろうと思う。教えたり教わったりが出来ない部分なのだ。結局、自分の言葉のセンスは自力で磨くしかない。良質の文章を読むとか、翻訳の上手な人の訳したものを読ませていただくとか。あるいは下手な人の訳したものを読んで、ふむ、こういう部分がヘタなのね、これは真似しちゃいかんな、と確認するとか(でも上手か下手かすら見極めつかない実力の人間にはこれはできないけどね、ははは)。

どちらが欠けても車はちゃんと前に進むことは出来ない。専門知識のほうが一見ハードルが高そうに見えるし、実際、習得にはそれなりの金額がかさむのは確かだ。でも最後にモノを言うのは、専門知識ではなく翻訳のセンスのような気がする今日この頃。一見簡単そうに思えることのほうは、実は奥深くて難しい。卵料理のようなものかな。苦手なんだよね、タマゴ料理。いや、得意な料理なんて一つも無いけど(笑)。

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2006年3月 7日 (火)

季節と欝

グータラでいい加減でテキトーな性格の私は、自分自身はまったくウツとは縁が無い。なりたくてもウツになる才能がございません(いや、これは言葉のアヤでして、別にウツになりたいわけではありませんが)。何か問題が起きたときに自分を責めて自分で何でも引き受けてパニックになるなんてこともない。自分の悪かったところは自分の所為として受け止めて反省もするけれど、別に自分がすべての責任を引き受けようなどと思わないし、第一、私なんざ居なくても世の中いくらでも普通に回っていくんだから、自分自身が壊れるほどガンバル必要も無いのだ。でもどういうわけか周囲にはウツを患う方が多い。中学生くらいから周囲にそういうケのある人が多かった。自然と病識も対処方法も接し方も覚えてしまった。自分にはまったく縁が無いけれど、ウツの人とはどう接したらよいのか非常によく判っているつもりである。そういえば、一時期ダーリンもウツっぽかったっけ。セントジョンズワート飲みすぎておかしくなりかかってたなぁ(あれはハーブと言いながら実際には結構習慣性がある)。好きなだけ天岩戸に隠れてて良いから飽きたら出ておいで、といって放っておいたらそのうち出てきたんだったなぁ。

冬はウツが悪化しやすい。お世話になっている方のご家族がこの冬はかなりウツ症状が激しくて看病が大変だったそうだ。今年は寒さが厳しかったから余計にひどかったのだろう。ようやく暖かくなってきたことと関係しているのか、最近症状も落ち着いてきてホッとしているとおっしゃっていた。家族の看病はそれがどんな病気でも大変だけれど、ウツのように目に見えないものにはまた独特の困難があるだろうな。

でも春もまたウツが悪化しやすい。大きく季節が変わるときに体調や心理的変化が起こりやすいのだろう。特に春は、ただでさえ周囲が活気付いてザワザワと世間が動き出す。みんな楽しそう、みんな嬉しそう、みんな生き生きとし始める。そんな周囲についていけない気持ちがウツを悪化させるんじゃないだろうかと思う。このところ友達のウツが大悪化状態らしい。心配ではあるけれど、ベタベタした付き合いをしていないので私は離れて見守るだけ。もし入院でもしたらお見舞いに行くつもりだけど(次に何かやらかしたら入院宣告が出ているんだそうである)、彼女も病識豊かなのでそんなヘマはしないでしょう。頑張らなくて良いからとりあえず春を乗り切りなさい、と彼女にメールを出した。

東京には春一番が吹いて、もうすぐ本格的な春が来る。でも心を病んでいる人にはこれもまたひとつのつらい季節なのかもしれないなぁと思う。ガサツでノーテンキな私には思い及ばないけれど。

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2006年3月 6日 (月)

基礎医学

某翻訳掲示板で、文系出身者が医学関係の翻訳をするにあたって、どんなふうに勉強したらよいかという質問があった。いつもいつも繰り返し、新たにこの分野の翻訳に参入しようとする文系出身者が問うことである。私もこの分野を目指し始めたころは、片っ端から見つけられる限りあらゆるサイトを読み、先輩翻訳者のカキコミはむさぼるように読み、問い合わせをしても失礼じゃないだろうかと思いつつ質問メールを出させていただいたり(都内で医学翻訳の勉強会をやっています、という書き込みを見て勇んでメールを出したら3年前のカキコミだったり・・・だって年月日が書いてないんだもの! でもとても丁寧なお返事をいただいた。現在は在米中というN先輩、ありがとうございました)、とにかく試行錯誤の連続だ。でも結局、それぞれのアプローチは千差万別で、どう勉強したらよいですか?と訊いたところで同じ方法が自分にも当てはまるとは限らない、というか、当てはまるほうが少ないと思う。英検の勉強にしてもそうだけど、合格者に「どうやって勉強したの? なにが一番効果があったの?」と訊いたところで、それぞれの元々の力、得意分野、興味の対象などが違うので、ケースバイケースなのだ。あの人にとても似合う素敵な口紅が自分の肌色に合うとは限らない。自分に合うものは自分の手で探すしかないのである。

とはいっても、大まかなところは大体同じなんだけどね。医学生用の教科書とか、看護師さん向けの教科書とか、MR研修テキストだとか。ネット上にもさまざまな学習サイトがあるし。中には信頼がおけるかどうかアヤシイものもあるけれど。最近こんなものも出たらしい。でも高いなぁ。医学関係の書物ってどれもみんな高すぎ!
http://medwave2.nikkeibp.co.jp/wcs/leaf?CID=onair/medwave/mdps/423497

私は相変わらずちまちまと医学のあゆみを読んでいる(買って積んでいるとも言うが)。でもやっぱり安くないと続きませんです。

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2006年3月 5日 (日)

一つずつ

仕事が変わって以前よりも大幅に時間的余裕ができた・・・ハズなんだけど、なんだかまだペースが掴めていない所為か、どうもうまく回っていない。NEJM第2弾のトライアル(といってもNEJMじゃなくて日英だけど)の締め切りが刻一刻と近づいてくるのに終わってないし、別件で今週中が締め切りとなっているトライアルに挑戦中だし(おお、今年はトライアル挑戦率が高いぞ)、そうこうしているうちに、今週末締め切りのお仕事をいただいてしまった。昨年請けさせていただいた医療機器系の翻訳なのだが、そのシリーズものが来たのである。以前に自分がやった仕事がこうして次につながってくるというのはすごく嬉しい。でもなんで今週なのさ? なんだか今週は一気にドタバタだぞ。3月になったので英検のほうでも今週から教材を用意しなければならないし、いや、こんなことは最初から判っていたことなんだけど、いっぺんにアレコレ重なるとあたふたしてしまう。ボランティア翻訳ではここ数日ほど立て続けに校正を頼まれて、先日受け取った翻訳は「こっ、これは・・・。翻訳になってないよー!」と言いたくなる様な仕上がりだったし。改めて英文和訳と翻訳は違う(と先日も書いたけど)ことを痛感。だからといって全文書き直すわけにもねぇ。これを訳した方は一生懸命に訳していらっしゃるのだろうと思うと。うううぅ、なんともツライわ。ボランティア翻訳サイトが協力している「がん患者支援プロジェクト(Relay for life)」では、いよいよ今年の夏に日本での第一回目のイベントが行われる予定だけれど、このパンフレット翻訳もお手伝いすることになり、これまた締め切りが今週中。うーん。重なるときっていっぺんに重なるなぁ。
http://relay4life.exblog.jp/

とりあえず、目の前のものを締め切り順に一つずつ片付けていくしかないか。少しずつ春らしくなってきたしお天気も良いし、まずはパソコンを切ってスーパーにお買い物に行ってこよう。食料の買出し~♪ 暖かくなってきた途端に、昨日は起きぬけ&お風呂上りに、それぞれ一個ずつハーゲンダッツを食べてしまったし・・・。春になって何か新しいことを目指してバージョンアップするぞ!と心の中で思っているんだけど、このままでは体重アップだけで終わってしまう。こまめに動かなければ。そしてアイスのまとめ買いは控えよう・・・。

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2006年3月 4日 (土)

訳文校正

先生にお誘いいただいた翻訳プロジェクトは無事に終了。今回は先生からすべてのフィードバック(最終版)をいただくことができたので、非常に勉強になった。「英文和訳」ではなく「翻訳」とはどういうものなのか、プロの仕上げを間近に見させていただくことが出来て本当にありがたかった。こんなこと、望んだってそう経験させていただけるものではない。先生から返ってきた訳文を見ながら自分の訳文の悪いところや訳し方のクセを分析する。こういう積み重ねが必要なんだなぁ。たまたま私自身、このところ他の人の文章を直す機会が立て続けにあったため、書くとき(翻訳)に気をつけるべきこと、校正の視点で気をつけることなどについてアレコレ考える。どっちもそれなりに難しい。そしてどちらの技術も高めなくては翻訳者としてやっていけないと思う。

英検クラスの1人から、ビジネスで非常に込み入ったフォーマルなレターを書かなければならなくなったが英語がいまひとつ自信がないということでレターの校正を頼まれた。文章一つ一つは良いのだけれど「英文レター」の体を為していない。あんなに英作文の練習をしているでしょう!と思いながら容赦なく赤を入れる。結論を最後に書きたがるのは日本人の悪い癖だ。でも人の書いたものを直すのは心情的にも申し訳ない。なるべく本人の表現を活かしてあげたいと思うと直すのも一苦労。自然な流れで自然な表現を使うというのは慣れていないと本当に難しい。でも果たして自分がゼロから書くときに、ちゃんとそういうふうに書けているんだろうか? 人の書いたものを直すのは一種のアラ捜しと同じで、欠点が見えやすいから直すべき点にすぐに目が行くけど、自分で書くと欠点が隠れてしまって(思い込みもあって)正しく書けるかどうか怪しかったりする。

ボランティア翻訳のほうでもこのところ続けて校正を頼まれている。翻訳スタッフさんは増えているのに校正を出来る人がいないらしい。読ませていただくと、まさに「英文和訳」的な(直訳とまでは行かないけれど)ぎこちない不自然な和文が書かれていたりする。私自身がゼロから訳したら、いかにもこう書きそうだ。でも校正する以上、心の中で申し訳ないと思いつつ、ばっさり直す。訳すときはどうしても原文表現に囚われてしまって、原文にひきづられた訳文になりがちだ。結果として出来上がった訳文はなんだかぎこちない不自然な表現になるけれど、それ以上の訳語にすることができなかったりする。校正では、原文から少し離れた視点で、意味は落とさずに自然な表現を心がける。ホンモノの翻訳のプロなら、この両方を自分1人でやらなければいけないってことなんだな。自然な訳語にするってほんと難しい。

第一回目の分納の時には不自然表現満載だっただろうと思われる私の翻訳も、二回目、三回目、と、どんどん良くなっていった・・・ハズ・・・と思いたい。実際、気のせいか先生からいただいた最終稿では直しの数が減っていた・・・と思うんだけど・・・。どうだろう。日々修行だなぁ。

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2006年3月 2日 (木)

ラジオ体操

弥生三月は冷たい雨から始まった。通勤電車の中での長い傘って邪魔で仕方が無い。というわけで宮仕えは続くよどこまでも~。さっそく新しい職場にお勤めする私であった。一ヶ月ほど前にオンサイトの論文翻訳の仕事ということでトライアルを受けたところが決まったのだ。医学分野の翻訳の中で私が一番やりたいと思っているのが論文翻訳なので、その仕事が出来るというのはとても嬉しい。

今までは面接ではいつもパソコン環境について質問していたのだけれど、今回は何も質問しなかった。多かれ少なかれパソコンが整っていることはいまや常識だし、それに辞書があるかどうかを訊いたところでほとんど意味を為さない。今回は翻訳という職種で募集しているのだし、ある程度はそろっているだろうと勝手に推測。なければ自分の辞書を持っていけば良いだけの話だ。以前は自分の手持ちの辞書がそんなに揃っていなかったこともあって、そういう質問をしていたのだが、今は一通り自分で持っているから、「箱」としてパソコンさえあれば、中身は自分で用意できるし企業側に揃えて貰わなくてもなんとかなると思うのである。

が、今回は逆の意味で裏切られた。辞書が揃っているどころの話ではない。箱(=パソコン)はちょっと古めかしくて、スペックもあまり高性能な感じはしなかったが、中身の充実度が過去に勤めたことのある企業の中では群を抜いていた。何しろ翻訳支援ツールが入っているのである。パソコンを立ち上げて、最初にデスクトップに見慣れた虹色の羽マークが見えたときには「うわぉ!」と思わず声が出た。まさかコレが入っているなんて!それ以外にもMedTrancerまで入っていた。ありがたやありがたや。翻訳環境、整いすぎ。これでお仕事が捗らなかったら許されないね私。がんばろうっと。

それにしても超純ジャパなドメスティック企業。午後3時にオフィス内に何やら懐かしい曲が流れてきた。こっ、これはまさか、もしかして! そう、ラジオ体操である。うわああああああ、イマドキ午後3時にラジオ体操やる会社なんてあるのぉ!?と思ったが、皆さん作業の手を休めて立ち上がる。私も郷に入ってはナントヤラなので一緒に立ち上がって・・・十数年ぶりにラジオ体操を踊って、もとい、運動してしまいました。そういえば二十代のときに2年ちょっと勤めた純ジャパ会社も、午後3時にラジオ体操をやってたんだっけ。確かに肩こり緩和には良いんだろうなぁ。でも私のラジオ体操はどう見てもヘタクソな盆踊り以下にしかなってないだろうな。

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